うつ病で見られる、「憂鬱」の系列の症状と、「興味喪失」(億劫を加えても良い)の症状の系列は
かなり異なったものだと考えられている
そして、DSM4の時代にはこの両者が、必須とされていた
これはどういうことだろうか
神経細胞の興奮と休止で考えれば、
憂うつの系統の症状は、神経細胞の興奮である
そして、興味喪失は、神経細胞の休止である
こんなにも違うものがどうして、両立するというのだろうか
そしてそのようなものをうつ病と呼ぶことにどのような意義があるものだろうか。
私の考えでは、神経細胞の中には、反復継続入力に対して、次第に増加する出力で答える細胞がある。
これが「マニー型細胞で」、躁状態の時には典型的にこの細胞が活躍しているし、
何かに熱中しているとき、この細胞がどんどん活動している
「憂うつ」というを考えてみると、元気がなくなったから憂うつなのではなくて、
もっと積極的に、憂うつ細胞が活発に働いているのだと考えられる。
つまり、憂うつ細胞が興奮し続けている。
躁状態の欠如がうつ状態ではないということだ。
一方で、「興味喪失」の系統の症状を呈している時には、
神経細胞が休止しているものと考えることができる。
この時期にはまた億劫さが生じる。
こう考えると、
まず、『憂うつ』系の細胞が興奮する事態があり、
この場面では『躁状態』の細胞も興奮しやすいので、容易に躁鬱混合状態となる
その後で、それらの神経細胞の一部が休止に入ると、次第に『憂うつ』・『躁状態』と『興味喪失』の混合となる→DSM4でいううつはこの部分をとらえたものということになる。
さらに時間が経過すると、『興味喪失』・億劫感が中心となる
さらに時間がたてば、興味喪失も億劫感も元に戻り、消失する。