「若者が職に就けるように年配者は身を引かなければならない」は間違いである

採録 
 
経済が成長するためには、就労人口を増やすか生産性を上げるかしかない。働かない市民への支出を膨らませる社会が、真の意味で繁栄を続けることなどあり得ないのだ。
「若者が職に就けるように年配者は身を引かなければならない」
経済学者であれば、この理論における欠陥を見抜くだろう。ケラウェイ氏の記事は「世の中には一定量の仕事しか存在しない」という考え方に基づいている。この概念は、経済学で「労働塊の誤謬」と呼ばれているものだ。かつては女性の社会進出を阻む口実として持ち出された。今日でも、反移民の立場を取る政治家が、移民は国内の仕事を奪う脅威だとしてこの理論を利用している。
 では高齢層の就業が若年層の就職を妨げないのはなぜか。それは女性が社会に出ても男性が職にあぶれないのと同じ理由である。生計のために働く時、人は収入を得る。そしてそのお金で、他者が生み出した商品やサービスを購入する。この場合の「他者」を構成しているのは老若男女のすべてである。
 就業パターンもまた変化する。かつては大半が農業に従事していた。だがトラクターやコンバインが登場しても、失業状態が永遠に続いたわけではない。人々は、まず製造業で、次にサービス業で、就職先を見つけた。しかも60代の人間は30代の時にしていた仕事には就かないかもしれない。
高齢者が早期に退職した場合、彼らは若い世代に依存することになる。国から困窮者向けの給付金を受けている層と同じことが、実は、個人年金の給付を受けている層についても言える。年金の資金を生み出す株式配当や債券利息の支払いに必要な収益を、労働者に依存しているからだ。
 実際、企業年金基金が赤字に陥っている理由の1つは、度重なる早期退職プログラムにある。これは“見せかけの節約“の典型的な例だ。短期的に給与の支払額は減少したが、長期にわたる年金コストは増加してしまった。同プログラムを導入した企業は、80年代、90年代のような高収益の年金運用を期待して、長期の年金コストを賄えると考えていた。

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しかしながら高齢者が若者よりも上級職にいることが多く
そのことが状況を悪くしていると思う

若者が年配者を上手く使えるものかというと簡単ではない