油上の楼閣

■1.イスのない学校■
     中国内陸部の青海省。南はチベット自治区に接し、2、3千
    メートルの高原が広がる。その東部にある少数民族・下隆回族
    の自治県の小学校を日経新聞記者の村山宏氏が訪れた。
    
     採光の悪い暗い教室では、20人あまりの子供たちが立った
    まま、教科書を手に持って声を上げている。「イスがないので
    すね」と村山記者が聞くと、「イスと机で170元(約2千5
    百円)はします。学校の予算がなくて購入できないでいます」
    
     小学校の生徒数は125名、教室が狭いうえに教師は4人し
    かいない。午前と午後に分けて授業を繰り返している。しかし、
    これらの子供たちも恵まれた方だ。地域の学齢期の子どもは
    272人いるが、学校に通えるのはその半分以下なのである。
    
     2年生以下は10元(約150円)、3年生以上が25元
    (約375円)の学費を納める必要があるが、年収千元(約1
    万5千円)程度で、この学費さえ払えない家も多い。
    
         さっき、あなたが学校に入る前にたくさんの子どもたち
        に取り巻かれたでしょう。あの子らは学校に通わせてもら
        えない子どもたちなのです。学校のなかにいる子と一緒に
        遊ぼうとしていつも学校に集まってきます。授業を受けた
        くても受けられず、門の近くで遊んでいるのです。
        [1,p93]
        
     村山記者が車で乗り付けた時、校門の前で百人近い子供たち
    が歓声を上げて集まってきたが、校門をくぐった所で立ち止ま
    ってしまった、その子供らの事である。
■2.貧しさと教育不足の悪循環の中で■
     中国の小中学校の運営資金は地元の行政機関が拠出する。経
    済発展から取り残された貧しい地域では、学校運営は苦しさを
    増すばかりだ。
    
     この小学校の厳校長は、まだ25歳。月収は500元(7千
    5百円)と村人に比べたら破格だが、北京、上海で働く教師の
    半分にも満たない。まだ独身で4畳半の狭い部屋に済む。壁に
    は新聞紙を貼り付けて寒さを防いでいる。
    
     一人の女性の先生が村山記者に耳打ちをした。「私は今年、
    まだ5ヶ月分しか給料をもらっていないのです。」9月のこと
    である。こんな貧しさにもめげずに、厳校長は学期毎に家庭訪
    問をして、学費がなくて学校にこれなくなった子どもたちを通
    学させるよう親を説得して歩く。
    
     村人3千5百人のうち、字の読めない人の割合は7割に達す
    る。小学校から中学校に進学するのは、同年齢の子どもの10
    %ぐらい。県政府は家庭の現金収入を増やそうと豊かな地方へ
    の出稼ぎを奨励し、数百元の保証金まで与えているが、字も読
    めなければ出来る仕事も限られてしまう。貧しさと教育不足の
    悪循環の中で、厳校長らの奮闘は続いている。
■3.光の中国、影の中国■
     一方、上海などの豊かな沿海部では「貴族学校」がある。
    私立の小中高校で、高級な設備と一流の教師を揃えた進学校で
    ある。パソコンや音響機器を取りそろえ、外国語や情報関連の
    教育も充実している。修学旅行では日本など海外にまで出かけ
    たりする。入学金と授業料は一括払いで、数万元(数十万円)
    から20数万元(3百数十万円)、沿海部の成金層の師弟を対
    象にしたビジネスである。
    
     イスも満足にない授業料375円の学校にすら行けない子ど
    もと、パソコン・海外修学旅行付きの3百数十万円の進学校に
    通う子ども。同じ国の中で、こんな両極端の光景が見られるの
    である。
    
     日本が不況にあえいでいる中で、中国経済の華々しい躍進が
    報道され、それが日本人の自信喪失に輪をかけているが、躍
    進・中国というイメージは、豊かな沿海部のそれも光の当たっ
    ている所だけを見ているからである。わが国は世界でも珍しい
    ほどに国内格差の少ない平等な「温室国家」であるが、その国
    内常識の色眼鏡をつけたまま、中国の光の部分だけを見ると、
    13億の民がそろって日本の高度成長時のような大発展をしつ
    つあるように見えてしまう。
    
     中国との政治的、経済的関係を考える場合に、この錯覚は危
    険である。光の部分と影の部分、そしてその間の矛盾・軋轢、
    この複雑なる隣人とつきあうには、こうした事実を知る必要が
    ある。
■4.追いつめられた農民たちは■
     中国は昨年末にWTO(世界貿易機関)に加盟したが、これ
    によって、製造業の輸出が伸びる反面、国際競争力のない農業
    部門が深刻な打撃を受けるだろう。
    
     1950年代末期、毛沢東の「大躍進」政策で農業の集団化を強
    引に押し進めた結果、2千万人とも言われる餓死者を出して以
    来[a]、農民一人ひとりが農地を持って個人経営をすることで
    「やる気」を引き出し、農業生産高を向上させてきた。しかし
    8億6千万人の農村居住者が、1戸あたり0.4ヘクタール、日
    本の3分の1以下の土地にしがみついて、零細な農業を営んで
    いる。
    
     原始的な農法とあいまって、今や国内市場においても、オー
    ストラリア米にかなわない、と言われる。すでに農村部の労働
    力4億9千万人のうち、25%にあたる1億2千万人が余剰と
    推計されている。
    
     中国政府は小麦やトウモロコシなど主要農産物に輸入割当制
    を実施し、牛肉や果物など労働集約型の農産品も高率関税によ
    って国内農家を保護してきたが、これらの保護政策が縮小、廃
    止された場合、970万人の農民が失業すると政府は予測して
    いるが
、その4倍との見方もある。
    
     湖北省武漢。市場に出入りする商人の荷物を竹竿で担いで、
    手間賃を貰う担ぎ屋がたむろしている。「こう同業者が多くち
    ゃ商売はうまく行かない」と百数十キロ離れた農村から出てき
    た出稼ぎ農民は言った。「二人目を産んじゃいけねえんだけど
    よ、できちまってさ、罰金を2300元も払わされちまった。
    農業じゃ食えないから武漢に出てくるんだ。」とは言っても、
    一日に10元(150円)ほど稼いでも、夕食3元、2段ベッ
    ドに4人寝る宿代が一日1元では、いくらも残らない。
     食べていけない農民たちの怒りは、重税や役人の腐敗をきっ
    かけに爆発する。2000年8月、江南省の省都・南昌の南の豊城
    県では、2万人の農民が腐敗役人の家を打ちこわし、農具を武
    器に武装警官と数日にわたって戦った。公安部は、国内の抗議
    行動が98年は6万件、99年が10万件と発表した。WTO
    による農産物市場開放がこの火に油をそそぐだろう。[2,p312]
     
■5.国有企業から放り出された失業者■
     もう一つの影がある。国有企業だ。村山記者は荒れた砂漠地
    帯の真ん中にある街の国有紡績工場を訪ねた。車で乗りつける
    と、6、7人の労働者に取り囲まれた。工場内で仕事もなく、
    手持ちぶさたの工員から格好の暇つぶしと思われたらしい。数
    十台の紡績機のうち、動いているのはわずか一台。他の労働者
    たちが車座になって世間話をしている。
    
         89年からずっと赤字で負債総額は7千万元以上になる
        よ。悪いのはソ連、東欧の解体です。工場の輸出のほとん
        どが、あちら向けだったんですが、向こうさんが経済混乱
        で毛布を買ってくれなくなった。これには困りましたねえ。
        
     宣伝部の担当者はこう語った。89年からずっと赤字でも、
    生産品目も変えず、輸出先の開拓もせずに、いまだにソ連・東
    欧のせいにしている。経営者も労働者も無気力の固まりである。
    80年代に2千人以上いた工場は、4百人を解雇した。
    
■6.国有企業という生活共同体から追い出されたら■
     中国の国有企業は、住宅、医療、教育、仕事を約束する生活
    共同体である。国有企業に雇われている限り、生活はまるごと
    面倒みてもらえる。まさに社会主義の理想であった。しかし、
    逆に国有企業から放り出されたら、人々は職だけでなく、住居
    も医療サービスも、教育機会も失ってしまう。失業保険は月に
    300元(4500円)ほどの最低賃金分しか保障されず、支
    給期間も限定されている。
    
     1999年の政府統計によれば、国有企業は都市労働力の41%
    を使いながら、工業生産高の28%しか生みだしていない。同
    じく政府統計では、国有企業で働く約9千万人の30%以上が
    自宅待機中である。
    
     黄海に面した江蘇省の貧しい市。長距離バスから乗客が降り
    ると、足こぎ式の輪タクの大軍が押し寄せる。「乗っていかな
    い?」 こぎ手のほとんどは寒さに頬を真っ赤にした女たち、
    国有企業からレイオフされた女工員たちである。
     遼寧省の斜陽鉄鋼地帯の町では、鉱山の閉鎖をきっかけに20
    00年2月、2万人の労働者が暴動を起こした。人民解放軍が出
    動して、ようやく秩序が回復された。
■7.中国の金融問題は世界最大の問題かもしれない■
     中国の最初の、そして最近まで最大だった製鉄所・鞍山鉄鋼
    公司は、瀕死の国有企業の典型だ。1950年代のソ連の技術を使
    い、50万人もの退職者やレイオフ者の生活を支え、数百億円
    の負債を抱えている。こんな巨大国有企業がつぶれたら、深刻
    な経済的社会的混乱を起こすので、政府としても潰すわけに行
    かない。国有銀行からの融資を続けさせる。「融資を打ち切れ
    ば国有企業は倒産するだろうし、我々も共倒れです。」とある
    銀行家は語る。
    
     1999年末の中国の商業銀行の不良債権率は40%という推定
    が多く、最悪では70%と見る向きもある。そのうち20%を
    回収するとしても、中国の銀行システムの回収不能債権額は4
    千9百億ドル。中国全体の2000年のGDPが1兆ドルなので、
    その50%近い規模である。ちなみに日本の不良債権総額の推
    定は50~60兆円から140兆円までとばらついているが、
    500兆円を超すGDPの10%から30%未満である。
    
    「専門家の多くにとって、中国の金融問題は世界の最重要課題
    のひとつであり、ことによると世界最大の問題かもしれない」
    とマサチューセッツ工科大学のドーンブッシュ教授は語る。
    
     99年1月に広東国際信託投資公司(GITIC)は47億ド
    ル(約5千億円)もの負債を抱えて倒産した。広東省直轄で政
    府の保障付きだから焦げ付くことはないと信じて融資していた
    外国の投資家はあえなく見捨てられた。貸し付けの3割は日本
    の銀行からと見られている。
     1999年4月、中国で第5位の国有交通銀行に対する取り付け
    騒ぎが河南省でおきた。2000年6月には4大国有銀行のひとつ
    中国建設銀行に対しても、安徽省で取り付け騒ぎが起きている。
    預金保険のない中国では、人民が預金を守る方法はただ一つ、
    銀行に押しかける事だ。すでに破綻に瀕している中国の金融シ
    ステムのどこかが綻びれば、中国全土で取り付け騒ぎが広がり、
    それを抑えるためには武力鎮圧か、大急ぎで紙幣を刷って超イ
    ンフレを招くしかない。それは共産党政権の終焉につながるだ
    ろうと[2]の著者ゴードン・チャンは予測する。
■8.「油上」の楼閣■
     99年4月25日、突如として2万人の法輪功会員が天安門前
    から中国共産党幹部の住む中南海を埋め尽くした。法輪功はや
    さしい基本動作で、血行を促し心身を健やかにする気功術の一
    派。病気になっても医者にかかれない一般大衆の間にまたたく
    間に広がって、7千万人の信者がいると言われている。
    
     政府は中国共産党独裁を脅かしかねない「邪教」として、94
    年から弾圧してきた。それに対する平和的な抗議を行ったのが、
    この2万人の集会だった。あわてふためいた江沢民は取り締ま
    り強化を命じ、以後、ビラ撒きだけでも法輪功会員は逮捕され、
    これまで獄中での死亡74名から120名、労働改造所に送り
    込まれた者2万人という。もう一つの気功集団「中功」は会員
    4千万とされており、こちらも500人が逮捕されている。
    [3]
    
     中国の歴史では黄巾党の乱、白蓮教徒の乱、太平天国の乱、
    義和団の乱など、追いつめられた民衆が宗教に救いを求め、そ
    こから暴動、蜂起を起こして、やがては支配王朝を倒すか、そ
    の衰退の端緒を作るというメカニズムが繰り返されてきた。法
    輪功はこの再現かと、中共政府は怯えている。
    
     農村や国営企業から放り出された失業者、不完全労働者はす
    でに2億人を超える由。国内をさすらう出稼ぎ労働者は7千万
    から1億3千万人。WTO加盟の衝撃でこの大群衆がいつ暴徒
    に化けるか分からない。それは金融システムの破綻を表面化さ
    せ、全国各地での取り付け騒ぎに飛び火するかもしれない。そ
    うなれば弾圧と搾取に苦しむチベットやウイグルの民も黙って
    いないだろう。[c,d]
    
     躍進する中国経済という光の部分を壮大な楼閣にたとえれば、
    その影の部分は暗い油の海だ。中国はまさに「油上の楼閣」で
    ある。油の海はマッチ一本で火の海になりかねない。
                                          
■「『油上の楼閣』中国経済」について  匿名希望の方より
     私は中国の天津に住んでいます。2002年を迎えて間もな
    い頃から、エイズ患者が自分の血を注射器に入れ、通行人を無
    差別に刺している、という噂が広まりました。そもそもの出所
    は、十数年前に湖南省で売血をして暮らさざるを得なかった極
    貧農村の人たちが注射針によってエイズ感染し、それを放置し
    続ける政府に対する抗議行動だということでした。
     今になってそんな話が持ち出されることへの疑心はあったも
    のの、数年前も天津郊外で村ごとペストに感染した村が政府に
    よって焼却処分されたという事実があったため、「気を付けよ
    う」という程度でいました。
     それが日を追うごとに単なる噂の域を越え始め、いくら訴え
    ても知らぬ振りを通していた大使館が動き(パフォーマンスの
    ようですが)、昨日は天津テレビでニュースとなりました。そ
    のニュースとは加害者は飽くまでも「愉快犯」であり、エイズ
    感染の危険はない、ただ「公安が捜査と取締りをしているので
    安全だ」と強調するばかりのものでしたが。そして衛生局も市
    民に危険はないが被害は出ているという通達を出しました。
     これに至るまでにも市政府関係者の話として、「事態を深刻
    視しているがパニックを避けるため報道はできない、全国の大
    都市で同じような事件が起こっている」という情報も聞いてお
    り、私たちは不安になる一方でした。
     私たちではまだ天津の情報しか入手できていません。ですが、
    これが中国全土の大都市で起こっていることだとすれば、明ら
    かにひとつの村の人たちだけで起こせる事件ではないと思われ
    ます。そこでやはり困窮している村の抗議行動に便乗もしくは
    力を貸している組織の存在が疑われ、筆頭に法輪功の名前が出
    始めています。しかし結局「法輪功」の名前が出てきたとき、
    私たちはまた全てを法輪功に負わせる方法で臭いものに蓋をし
    ていく中国政府のやり方をまざまざと見せつけられたような気
    がしています。
     発端が何であろうと、もはや町はヒステリック状態で、どこ
    のデパートも繁華街も人気がなくなり、できる限りの自衛法で
    身を守っていくしかありません。まさに「油上の楼閣」の油の
    海に火がつきそうになっており、それを把握しているであろう
    大使館も在中邦人を守ろうという気概はなく、私たちもまたこ
    の国の人々と同様に身をすくめていなければなりません。いつ、
    どこで暴動が起こっても、私たちが驚くことはないでしょう。