“仏教は、「生きること」はすなわち「苦である」という自覚から始まります。ずいぶん悲観的な宗教だと思うかもしれませんが、この場合の「苦」の原語はドゥッカーと言いまして、「満足できない」といった意味合いです。  私たちは必ず「満足できない」、つまり「思いどおりにならない」という苦悩に直面します。そこで(現実を思いどおりにコントロールすることはできないため)、「思い」のほうを調える。たとえば、「思い」を消し去ってしまえば、「苦悩」も消滅する、それが仏教の理路です。”

“仏教は、「生きること」はすなわち「苦である」という自覚から始まります。ずいぶん悲観的な宗教だと思うかもしれませんが、この場合の「苦」の原語はドゥッカーと言いまして、「満足できない」といった意味合いです。  私たちは必ず「満足できない」、つまり「思いどおりにならない」という苦悩に直面します。そこで(現実を思いどおりにコントロールすることはできないため)、「思い」のほうを調える。たとえば、「思い」を消し去ってしまえば、「苦悩」も消滅する、それが仏教の理路です。”