法の支配

自然法則が物理世界を支配する

このことと同じように
法が人間社会を支配する

実体法以前に底流として存在する自然法が実体法を支配し
実体法が人間生活を支配する

だから実体法を理解するとき
実体法の制定は任意で恣意的であり
その支配者が権力である
などと考えるのは間違いである。上位の自然法にすべての実体法は規定されるのである。

また実体法としてA、Bがあるとして、
もしAとすれば、結果としてaが発生し
Bとすれば、結果としてbが発生する
そして結果として見ればbよりもaが好ましいから
法制度としてはAが望ましい
こういう議論も本末転倒である
下流の結果から上流の可否を決定することはおかしい
その場合、求めたい結果がすでに存在して、それを実現するための道具として
実体法があるというに過ぎない事になってしまう

bよりもaが好ましいという議論の根拠はいくつにも分離するだろう

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かれこれ考えるとやはり上位の自然法が存在して、そこから演繹的に全ての法は決められると考えられる
ただその上位の自然法が何であるのか、だれも知らないという、人間の知性の限界を語っているだけだろう

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しかしなぜそのような上位の法が洗練した形で
物理法則のように抽出されないのか不思議である

そして上位のメカニズが確定した上でならば
たとえば自由のために公共の福祉を犠牲にする割合を何%にするかといった
パラメーに依存して、
どのような社会が出現するのかを比較することはできるだろう

上位法は知らないまま、パラメータをいじり、結果により、正邪を判断するという
なにかおかしな状態

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権力者が法により支配するのではない

しかし
法制定者に上位法は見えているのか