“機能的非識字者は自分で文字を書けるのだから、一見、自立しているように思える。しかし彼らは、例えば保険の約款を理解できない。新聞に掲載されている記事の意味も分からないし、文章の要点をつかんだり、感動したりすることができない。図表を読み取ることができない。したがって、自分が生きている社会の構造を解釈し、把握することができない。 このような分析能力では、複雑さを忌避するのみならず、複雑な出来事(経済危機、戦争、国内もしくは国際政治、金融取引のスプレッド)を前にしても基本的な理解すら得ることができない。 したが

“機能的非識字者は自分で文字を書けるのだから、一見、自立しているように思える。しかし彼らは、例えば保険の約款を理解できない。新聞に掲載されている記事の意味も分からないし、文章の要点をつかんだり、感動したりすることができない。図表を読み取ることができない。したがって、自分が生きている社会の構造を解釈し、把握することができない。
このような分析能力では、複雑さを忌避するのみならず、複雑な出来事(経済危機、戦争、国内もしくは国際政治、金融取引のスプレッド)を前にしても基本的な理解すら得ることができない。
したがって、機能的非識字者は、自身の直接的経験と比較することによってのみ、世界を解釈する(例:経済危機は自身の購買力の減少でしかない。ウクライナにおける紛争は、ガスの料金が増加して初めて問題となる。税金のカットは(それが公的サーヴィスのカットにつながるとしても)正しい)。そして、長期的な結果を考慮に入れた分析を練り上げる能力をもたない。”
新たな「非識字者」が増えている:Facebookを読めても、現実は理解できない人たち