日本うつ病学会治療ガイドライン2011 双極性障害より

本文の中で

エビデンスに乏しいとしても、社会心理的療法は薬物療法と並んで重要な治療であることを

ここで強調しておく。
医師患者関係の構築、
患者や家族の苦悩への共感と支持、
その時々の症状や患者の抱える問題に対する専門家としてのアドバイス
などは治療の基盤をなすものである。
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とか言ってます
強調しておく というのは 何を強調しているのですかね?
エビデンスに乏しいとしても のフレーズで 始めているからには 重要であるとか
基盤をなすとか 書いても 意味ないですよね。
エビデンスに乏しいんですから
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さらに
医師患者関係の構築、
患者や家族の苦悩への共感と支持、
その時々の症状や患者の抱える問題に対する専門家としてのアドバイス
などは治療の基盤をなすものである。
という言い方は
個別の特殊精神療法の特殊性を完全に否定していますね。
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社会心理的療法は薬物療法と並んで重要な治療である
と書いているのですが
そのあとではっきり社会心理療法は薬物療法と併用して初めて推奨されると書かれていて
全く「並んで」いないのである
さらに薬物療法なしに、心理社会的治療単独での治療は推奨されないと書かれている
全く「並んで」いない
「エビデンスに乏しいとしても、社会心理的療法は薬物療法と並んで重要な治療である」
という陳述はどういう意味なのだろうか
エビデンスに乏しくても重要なんだ
という判断は
過去に例えば丸山ワクチンがあった
エビデンスは重視しなくていいのだろうか
エビデンスに乏しいということは重要ではないということの強い証拠である
陳述の強さとしては「重要である」よりも「エビデンスに乏しい」がはるかに強い
たぶん
社会心理的療法は薬物療法と並んで重要な治療であると誤解して言われる場合もあるが、
エビデンスに乏しいことをここで強調しておく
という意味にしか解釈できない
ふつう、皮肉とか冷笑の場合にこういうレトリックを用いますね、文学の世界では。
こういう言い方をすれば
普通の人には皮肉はわかるけれど
社会心理的療法の人たちにはどうせわからないから
これでいいやという意図がよくわかる部分である
英語で書いておけば日本人には分からないだろうと外務省がよくやった手だ
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医師患者関係の構築、
患者や家族の苦悩への共感と支持、
その時々の症状や患者の抱える問題に対する専門家としてのアドバイス
などは治療の基盤をなすものである。
と書いてあるが
これを社会心理療法とは言わないですね
内科でも皮膚科でも同じ事です
医師の仕事そのものなので
ここでも、社会心理療法において、特殊要素はないと、明らかに宣言しているようですね。
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本文の中で
双極性障害の再発予防に有効であることが示されているものに
心理教育、集団心理教育、対人関係ー社会リズム療法、家族療法、認知行動療法がある。
と書かれていて、文献は全部海外のものである。日本はこの程度の論文もないのかと唖然とする。
そして更にすごいことは
なお、メタ解析では認知行動療法の再発予防効果が認められなかったとの報告もある。
との一文で、メタ解析が一般論文より重要であることを考えると、なお、と言いながらも
すべてを否定する勢いがある。
理論としても技法としても、圧倒的に他をリードしている認知行動療法について、こうである。
もちろん、他の技法についての厳密なメタ解析など無理というもので、
何かの流派を自称している人が本当は何をしているのか検証ができないのが現状である。
ビデオテープのすべてを見て確認するほど暇な人が多いわけではない。
さらに
「精神分析療法や来談者中心療法(カウンセリング)の有効性は証明されていない。」
と書かれている。
前述の新興精神療法がメタ解析では有効性はないものの、個別の統計では有効性が認められていると
されているのに
精神療法の本家と元祖がたった一行で短く否定されているのは困ったものだ。
有効と書かれている技法は
精神分析療法や来談者中心療法(カウンセリング)と無関係ではなく
むしろ精神分析療法や来談者中心療法は父であり母であり、根源である
なんというのか、たとえば
カトリックのバチカンは意味ないと否定されて
高崎のカトリック教会は有効だと言っているようなもので
ここも皮肉としか解釈できない
ここでいう精神分析療法とは
テクニカルに狭義の精神分析療法ということで
原理としての精神分析とか来談者中心療法のことではないわれだろう
高崎のカトリック教会にあたる新興精神療法は有効である。
(というか、有効であると統計で結果が出るように作ったのだから、当たり前なのであるが。
統計対策精神療法なのである。)
しかしバチカンにあたる精神分析療法や来談者中心療法は有効性は証明されてはいない。
というわけで
精神分析療法や来談者中心療法は統計処理でいい結果を出して勢力を伸ばす必要を
深刻に感じていないからやっていないだけだろうと思う
むしろ、両者はプライドも実績もあり、
現在のアメリカやイギリスの保険制度に沿い、
しかもDSMでの項目評価で点数を良くして有効性が認められることに
意義を見出していないのである
精神分析療法や来談者中心療法の中心部分と周辺部分という問題もある
中心部分で正統派を名乗っている人たちはそのままで
資産を継承していけばいいのだけれど
正統争いに敗れた周辺勢力としては
やはり新興勢力に対しての対抗もあるので
色々な動きがある
それぞれ勝手な名前をつけている
半分は、自分たちは本流であるという自負があり
あとの半分は、自分たちは跡目争いに負けたのだという負い目がある
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というわけで
老人の私はこんなことを考えたという感想であった