心理学的には、人が信頼という感覚を覚えるのは、幼少期、母親との関係によってであるといわれています。 赤ちゃんが泣けば、母親がなにかをしてくれる。この繰り返しによって、赤ちゃんは、他者(この場合は母親)は、いっとき、じぶんのことを放置するものの、ある範囲のなかで、アクションを起こせば、快くリアクションをしてくれるということを覚え、これが人の持つ信頼の土台になるようです。 母親がひどい親で、赤ちゃんである(あった)あなたがが泣いてもなにもしてくれなかった。こういう幼少期を過ごしていると、その子は、ひどく他

心理学的には、人が信頼という感覚を覚えるのは、幼少期、母親との関係によってであるといわれています。
赤ちゃんが泣けば、母親がなにかをしてくれる。この繰り返しによって、赤ちゃんは、他者(この場合は母親)は、いっとき、じぶんのことを放置するものの、ある範囲のなかで、アクションを起こせば、快くリアクションをしてくれるということを覚え、これが人の持つ信頼の土台になるようです。
母親がひどい親で、赤ちゃんである(あった)あなたがが泣いてもなにもしてくれなかった。こういう幼少期を過ごしていると、その子は、ひどく他者を信頼しない子どもになると言われています。
信頼という感覚を得られなかった子は、その真逆の極端、つまり、盲目的にじぶんが信頼できると感じる他者を探す傾向があるとも、心理学では言われており、他人にあれもこれも無限に(山のように)期待をする性格になるとのことです。
一方の極端から、他方の極端に走ってしまうと、非常に騙されやすい性格になります。
上に「いい母親」の例を述べたように、人は「ある限定された範囲のなかで」他者に期待を寄せ、また他者の期待に応えるというのが、一般的です。
 
人は誰でも、なんでもかんでも他人の期待に応えるわけではない。
騙されやすい人とは、この「信頼の限界」を知らない人です。盲目的に相手を信用し、相手の言うとおりに振舞うことで、相手にも「無限に」なにかをしてもらいたいと思っている人のことです。
これは、詐欺師のような男にとっては好都合かもしれませんが、一般的には無限に期待されると、人は重たくてしかたないので、そのうち友だちが減ります。
友だちが多いと「あなた、あの男はヤバイんじゃないの」という助言もあるかもしれない。
でも、無限の施しを期待する女性は、友の助言を得ることもできず、ひとりで盲目的に突っ走る。よって、今回も次回も、男に騙される。
世間で「お金を貸すくらいならあげなさい」という言い方がありますが、これも、人は無限に人になにかをしてあげられるわけではないし、そもそも、人によって対応を変えることで、信頼というものは無になってしまうという思想がベースにあるように思います。
(誰からも信頼されている人は、人によって「信頼の限界値」を変えない)。
他者の期待に線引きをするのは、わりと勇気がいるものですが、線を引けない女性は、いつまでも男に騙され続けるということです。