『30分くらい話しているとこういう展開になります』病

診断面接をするでしょう
そのときにまず状態像の情報を集めますね
睡眠、食欲、気分、現実把握、対人関係の形式など
これはその時一瞬の写真のような把握
これがDSMですね

それと同時に経過も参考にする
クレペリン的な経過はdefectを残すか、残さずに循環するかだけれども
DSMとしては何回、どの期間というくらいは大切な項目になる

現在はうつ状態だけれども
かこにそう状態があったといえば双極性障害になるわけだから
経過は大切なわけだ
これは人生の時間といえるだろう

しかし面接者にとって大切な時間経過は
面接の時間経過の中で何がどう進展するかということだ

陽性転移、陰性転移などがどのような時間経過でどのようなきっかけで起こるのか
それは大切な診断要素なのだけれども
DSMは嫌って捨てた

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精神療法を簡単にしようという大きな動きがある
精神分析が凋落しているのは
役にも立たないのにむやみに難しいことを言って
理解しているかどうかではなく
師弟の契りを結んだかどうかで
物事を決めていた怪しさがあったからだと思う

精神分析でもカトリック教会でも
長期に渡る師弟関係を基礎にして組織を形成しようとする動きは悪いことではないだろう
日本の家元制度などもそんな類型だろう

しかしそれだけでは良くない面もあり
特に合理主義者には嫌われるだろう

それで、精神分析にもいいところはあるのだから
別に難しいことを言わなくても
役に立つところだけ利用しようよ
という透明な心の人たちで検討が始まった

すると別段精神分析なんか勉強しなくても
普通の言葉で説明できることが分かった
分かってしまったので
精神分析を簡単にする必要もなくなった

CBTとかCATとかIPTとかDITとかそんなやつは
簡単に透明にしようよという流れだ
理屈としてはその分弱い
理屈を強くしようと思えばまた精神分析の二の舞になるからだ

長い間の師弟関係で伝えるなんてしないで
二週間くらい講習に行けば
とりあえず外来で役に立つ程度のことは学べるだろうということになる

相変わらず学問したい人はすればいいけれども
今のところブレイクスルーがない
文献学になるか
ラットをストップウォッチを手にして見つめているか
どちらも魅力はない

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面接をしていて強く思うのは
こういう流れでこういうことが起ころとこういう反応をするので驚いた
とかいう実感

これだと周囲の人も困惑するだろうなと思える

このあたりは
精神分析で言う、診察室と、現在の人生と、生育歴の「三一致の法則」で
捉えられることだ

そこにLuborskyのいうcore conflictがある

こう考えると視野が急に開けるのだけれども
こんな面接をしていると時間はかかるしお金もかかるし
治療関係もいろいろと難しくなるしで
最近は薬剤も進歩しているし
世間の理解も進んでいるので
まあ、もっと簡単でもいいじゃないかというわけで
簡単版でいい

その流れで、大した治療もしないんだから診断も簡単でいいということになり
DSMで間に合ってしまう

もっと難しい芸もできるけれども
求められていないので
もうやりませんというわけだ

大田区の工作名人がもういらないというのと同じなんだろう
1万分の一の精密さで水平を作ってどうなる
誰が求めるかという世界

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たとえば精神科治療を求める人間がどれだけ重要人物かということとも関係する
音楽家マーラーが病気だったとして
フロイトの治療を求めるというのならば
相当の名人芸で治療することは意味があるだろう

しかしながらたいていの精神病者は社会経済的に没落するので
そのような水準の高い治療を維持することは原理的に無理だと考えられる
投資としても見合わないのだろう

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治療者Aが話していると反応aであるが
治療者Bが話していると反応bであるとか
そういう情報は実際的だし現場では何より強く印象にのこるものなのだけれども
普遍化できないので残らない傾向になる

治療者Aが話していると30分を過ぎてこんな感じ、1時間を過ぎると反応aが出て
2時間を過ぎると反応bが出るとか
そんな気の長いことはもうできない現実になりつつある

多重人格のこととか人格障害の一部とかは
このような形式の診断が必要なはずだけれども
容易ではないだろう