昔のうつ病について

最近ではうつ病バブルが発生し
過剰診断が横行している

製薬会社の作戦が成功したためであり
結局資本の論理である
学問などどこにもない

大人のうつ病の次は子供のうつ病だと宣伝して、製薬会社はまた儲けようとしている
論文作成側は大人の方法論を流用して「日本の子供もそうでした」と書けば
論文を量産できるので都合が良い
発達障害とか自閉症の場合にもDSMをあまり良く考えずに当てはめれば
その生きにくさは、うつ病らしいでしょうとなるので
DSMも製薬会社の片棒を担いでいる感じにはなっている

いったん完成した脳がなにか不明の原因によって壊れるのがシゾフレニーと躁うつ病と考えられたのだが
それも昔の話だろう

次は双極性障害を過剰診断させようと資金を投入している

もちろん、日本は米国の後追いである
時間差なのでハズレがない

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しかし、それはそうとして、そもそも昔、うつ病とは何だったのだろうか

最初はもちろん診断名もなくて、なんか変だなあという人達についての観察があったわけだ
だいたいにおいてお互いに理解可能な生活をしているのに
理解できない行動をする場合、みんな困るので、だんだん分類・類型化されて、名前がつくことになる

うつ病はその中の一つで、妄想症とかてんかんとか躁病とかと並んでメジャーな分類だった

うつ病は、どんなによく話を聞いても、共感できず、了解もできない、不可解な悲しみと憂うつに囚われている状態で、
不眠になり、食欲はなくなり、体調も全般に優れない

たとえば失恋とか配偶者の死に際してはだれでも悲嘆の反応を示すのであるが
それは理解可能である、だからうつ病ではない。悲嘆反応である。

どんなに細かく事情を聞いても理解できない部分があり、どうしてそんなにも悲しくて、どうしてそんなにも死にたいのか、
了解できない事態がうつ病である
たとえば、どんなに検査しても異常はなく、がんの所見はないのに、私は癌だから6ヶ月以内に死ぬと泣いていたりすると
それがうつ病である
また、貯金通帳に500万円くらいあって、しばらくは心配ないのに、もう絶望だ、こんなに貧乏だと生きていけないと
嘆いたりすると、それがうつ病である
また、わたしはとんでもない罪を犯してしまった、死んでお詫びをするしかない、と真剣に後悔しているのだが、
どんなに話を聞いても調査をしても、そのような罪を犯してしまった形跡はない、そんな場合、うつ病である

昔からの観察では、躁状態とうつ状態は同一人物に現れることも多く、したがって、その場合は躁うつ病と呼ぶ。
躁病の場合も、なぜそんなに幸福なのか、どんなに話を聞いても調査をしても、共感できず了解できない場合が
躁病である。

うつ病の場合に認知がずれているのが原因なのか、感情や気分がずれているのが原因なのか、
いろいろと調べられたのだが、うつ病は気分の変調が原因であるという結論になった。
その理由で、いまは気分障害と呼ばれたりもする。

認知行動療法はうつ気分の原因が認知にあるという画期的な説を唱えていた時期もある。

上司が無理解だとか、パワハラだとか、セクハラだとか、夫婦でいざこざだとか家庭内暴力だとか、
こどもがぐれたとか、そのようなことで悲嘆反応を呈するのは理解できる範囲である。だから悲嘆反応と呼んで、
うつ病とは区別する。

夫婦で家庭内暴力があり、その場合に当然あるうるであろう悲嘆の範囲を超えて、
共感不可能、了解不可能な悲嘆があるならば、それはうつ病成分なのである。内因性成分と呼ぶ。
そして、性格に関係し、生きる戦略として選択している行動で、疾病利得が見えている場合は、神経症成分である。

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とりあえずこんな感じで、分類ができたのだけれども、
では共感と了解の範囲はどこなのかという問題が発生する。
「あの部長は許せない、休職したい」という人がいたとして、
いったいどの範囲が学問的に妥当な範囲であるのか、ドイツ精神医学は客観的に決めることができなかった。

そこで考えたのが経過診断だった。
その悲嘆の状態はどのように発生してどのように消えてどのように繰り返すかを観察すれば
分類できるのだはないかとする。

そして長期崩壊型(シゾフレニー)と循環型(躁うつ病)を区別することができた。
これは脳神経病理とも整合性があるように思われてとても頭の良い提案だった

しかし問題は30年程度観察しなければなんとも確かなことは言えないことだった
診察室に初診でやってきて、さっさと診断をつけて欲しいわけだが、経過診断を信奉する限りは30年たたないと
確定診断できないことになる

そこで、初診時に、現在の聞き取りと観察の内容から、経過診断を正確に予測するものができないかと
試みがあったが、成功しなかった

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そうこうしているうちに、ユダヤ人がヨーロッパから追われ、戦争があり、
アメリカの時代が来た
ドイツやフランスの精神医学は要するに哲学的すぎるので
アメリカで新しく何かやろうとしても専門家の養成に時間がかかりすぎるし実際的でもなく
ドイツやフランスを追い抜くのは大変だった

そこで精神分析学がアメリカの公認の精神医学として選ばれた
精神分析も役に立たないが
哲学的精神医学もどうせ役に立たないので同じだった
あたらしい学問のほうがアメリカには都合が良かった

精神分析で言えばうつ病は、という議論があるのだが、
もうあまり価値がないし説得力もないと思うので省略する

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精神薬理学が発達して製薬会社が資本を投下するようになると
精神病理学はもちろん、精神分析も下火になっていった
エビデンスの話になると沈黙する

薬剤の効果の統計をとるときに、たとえば、うつ病にどの程度効くのかとレポートしたいのだが、
うつ病とは何かというそもそもの議論で永遠に時間を消費するので
疾病の本質とは関係なく、統計のための疾病分類というものを政治的に決めた
それがDSMである

ロボトミー問題とかいろいろあって
シゾフレニーをどのように見るかということには大きな問題があり遠慮があった

地域精神医学で脱入院化というのがアメリカ、カナダ、イタリアなどの方向だった

日独の精神医学は
まずシゾフレニーを鑑別、その次に躁うつ病という順だった
それは疾病の破壊力から言ってもそうであるべきだし
また脳神経科学・発達神経学からいってもそうであるはずだと日独は信じていた
シゾフレニーはうつ病をともなうが
うつ病はシゾフレニーを伴わないのである

一方、アメリカのDSMでは鑑別の第一は気分障害で
それが除外できたらシゾフレニーも検討しろということになっている

さらにDSMでは神経症が解体されていて
フロイトが抹消された
神経症はその診断だけで原因に言及している。
DSM分類は、まず疾病を区切っておいて、
その疾病の原因や対策を研究しようとするものなので、
最初から原因によって分類するのは不適切だというのである

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ねじれたり、よじれたりしながら、すり替えられたり、勘違いされたりしつつ、現在に至る

いまどきは、「わたしが悲しんでいるからうつ病だ」という人もいて、
一方で「幼児虐待がうつ病の原因だから、親に責任をとってもらう」などという人もいて、
諸説花盛りである。

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正常と異常の判定は通常は顕微鏡下で行われる
ばあいによってはその手続を簡略化して血液検査などが行われる

血圧も糖尿病も
正常と異常は連続していて
どこから治療に着手すべきか
ときどき改訂版が配布されたりする

それは保健衛生行政からの決定であり政治的決定である
医学的決定とは違うものだ

医学的にはなだらかに移行しているというだけである

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うつ病の過剰診断というが
ろいろな精神の障害の最初期には
不眠、食欲不振、不安、憂うつ、決断困難、イライラ、注意欠陥障害、などの状態になるのであって、
その部分を捉えて、うつ状態と診断するのも間違いとはいえない
その後もずっとうつ病の経過をたどるという意味ではなく、
今現在、うつ状態であるということだけ、とりあえずは言えるということ。
2017-08-27 02:20