精神分析-2

精神分析-2
基本となる理論
無意識
精神活動は意識と無意識に分けられると考えるのが精神分析の基本的理論の一つである。
無意識の心の領域は我々が自分では意識できない部分である。
無意識には感情、認知、記憶が含まれ、それらは患者の気持ちや行動に影響する。
フロイトの独自な貢献は、無意識の概念を使ってどのように精神世界を理解したらよいかを発見したこと、そして精神医学的な問題をどのように解決したらよいかを発見したことにある。
無意識の概念が初めて提案された当時から、それが科学的であるのかどうかについては、疑問が出されていた。
しかし最近の神経科学の発見によれば、我々が意識していない精神的なプロセスが心理と行動に影響を与えていると言われている。
神経科学の現状で言えば、むしろ、無意識的なプロセスについては科学の領域で解決しやすい問題であるし、進化論的にも理解しやすい問題である。むしろ、自意識の発生の方が、現状の科学の領域を超える難問である可能性があると指摘されている。
しかし普段生活している我々としては自意識は自明のものであり、無意識がむしろ、体験外のものであるという逆の事情になっている。
実験動物が作れないという難問も横たわっている。
精神力動
我々の目的は単に現象を記述して分類することではない。精神内界のいろいろな力が作用した結果としてもたらされていると認識することである。
我々は精神現象について力動的な考え方を獲得しようとしているのである。
精神内界についての力学的見方はエネルギー論とか水力学モデルとか呼ばれるように、フロイトが生きた1900年当時に優勢だった物理学モデルに立脚している。
たとえば、惑星の運行で引力と遠心力が複合して軌道を決定するように、人間の精神内界でも類似の「力学」が考えられるのではないかというのが発想である。
科学的ではないという批判としては、精神内界の「力」「エネルギー」というものが単なる比喩に過ぎず、実体が明らかではないということもある。
しかし科学が未発達の段階では、惑星の引力とか遠心力とかも「見えない力」であり、存在を証明するのも難しいことであったと思う。
その点から言えば、エネルギーがあるのだけれども、せき止める力が作用しており、しかしその抑止力が弱くなったときには、エネルギーが噴出し、といったような力学的モデルになる。
一時は量子力学的モデルなども言われたし、ホログラフィックモデルとか、色々あったものだが、最近ではもちろん、比喩として使うならば、コンピュータの比喩が分かりやすい。
ハードの障害、ソフトのバグ、ROM、RAMなどメモリーの種類、通信コードのエラーなどを使えばかなり比喩としては分かりやすいのだろうと思う。
精神力動は、精神の諸力がお互いに精神内界で作用し合うことである。
精神内界葛藤という考え方は精神力動の初歩的な例である。
精神内界での葛藤という用語は、自己の内部で対立する認知や感情が押し合い引き合いしている状態である。その一部または大部分は我々には意識できないものである。
意識できないものを扱うので大変微妙な話なのだが、単に思い込みが強くて、声の大きい人が断定的に何かを言っている場合もあり、そのようなことも、この業界の胡散臭さのひとつの原因となっているのだろうと推定される。
精神内界の葛藤の結果、問題行動が生じたり、症状を呈したりする。
たとえば、ある患者は妻への愛を確信していて、それを表明もしている、妻を傷つけることは決してしないと言っている、しかし婚姻外の交渉を持つ。彼の感情は自分が意識的に抱いている信念とは葛藤状態にあり、この場合は感情を行動化したということになる。
また例えば、患者は月曜日が来るごとに頭痛に悩まされる。仕事に行かなければならないという気持ちと、行くのが怖いという気持ちの葛藤の表現として頭痛があると考えられる。
日常用語でも、困難を抱えている場合、「頭が痛い」と慣用的に表現する。
精神力動的精神療法
精神分析の伝統に即した精神療法を精神力動的精神療法と呼んでいる。
精神力動的精神療法では精神分析の中核的原則は保持しているが、メタサイコロジーは使用せず、心の構造についての公式の理論も使用しない。
メタサイコロジー的仮説は「根本ではなく、全体構造の頂上である。そして理論全体になんらダメージを受けることなく、取り替えて、捨ててしまうことができる」とフロイト自身でさえ結論している。
力動的精神療法は精神分析を基礎として、それほど長期間を要さず、それほど複雑ではない事例に対応する必要から生まれて発展したものである。
精神分析では典型的には週に3回から5回、カウチに横になるのだが、力動的精神療法では週に1回又は2回、普通の診察室で行われる。
Supportive-expressive (SE) psychotherapyは現代的な形の力動的治療であり、臨床・研究両分野の方法論と一致したものになっている。
防衛
防衛という用語は、精神分析理論の力動的立場の初歩的表現である。
防衛機制は、無意識の不安や精神の危険を予感した場合に自動的に生じる反応である。
一般的な防衛の例としては、回避や否認がある。
どちらも、患者としては耐えることのできない思考や感情を何とかしなければいけない時に、「回り道」をすることで対応するものである。
有効な防衛は健康な精神には不可欠のもので、防衛があることによって、苦痛で圧倒的な困難になる可能性のある感情を、なんとか制御できるようになる。
しかしながら、防衛はしばしば現実生活では不適応も起こす。防衛機制によって現実を曖昧に認識したり、歪めて認識したりする傾向がある。
たとえば、試験勉強をしないでずっとインターネットにへばりついている学生の場合、回避の防衛機制を使っている。学期末の宿題のページを開くのが強烈な不安なので、それを和らげようとしている。他の防衛機制についてもこの文章の次節で論じる。