雅房大納言は、才賢く、よき人にて、大将にもなさばやと思しける比、院の近習なる人、「たゞ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く思しめして、日来の御気色も違ひ、昇進もし給はざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり。虚言は不便なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり。 大方、生ける物を殺し、傷め

雅房大納言は、才賢く、よき人にて、大将にもなさばやと思しける比、院の近習なる人、「たゞ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く思しめして、日来の御気色も違ひ、昇進もし給はざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり。虚言は不便なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり。
 
大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり。
万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、嫉み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし。
彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。
すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。
徒然草 第百二十八段