人類愛ということ そして 覚めた者であり続けること

人類愛ということ。

ひとりひとりの現実の人間が
僕に向ってくるとき
僕はそれを受けとめきれないことがある
いや そのことが多かった
しかし それでも僕は人間を愛しているし
人間の歴史を愛している
自分の生をこの人間のため
人間の歴史のために使っても
惜しくない
しかし その奉仕の仕方には
各人の方法があってよいはずだ
目の前の病める者に手をさしのべるのもよい
まだ見ぬ誰かのために実験室に生きるのもよい
歴史を隔てた人間のために
メッセージを記すのもよい
僕は僕なりに人間を愛したい
人間の歴史を信じたい
そのために生き
そのことを歓んでいいのだと信じたい

Bachが僕を慰める
Glenn Gouldが僕を楽しませる
Richterが僕を豊かにしてくれる
時を隔てた文字
また同時代のまじめで控え目な
メッセージがある
人間が生きてゆくには
そういったものが必要なことがある。
トルストイが必要なことがある。
虫歯を治す医者も必要だが キリストもベートーベンも
やはり必要なものなのだ
 
医学部で学んだものは
肝臓の病気ばかりではない
人間には何が必要なのかということだ
人間には何といろいろなものが必要なものか
人と人とが生きていて
否も応もなしに 共同存在(mitlebenssein)であること

人間はどんなに弱いものか
弱肉強食を合言葉にして生きてもいる
そのくせに 実はどんなに弱くて
頼りなくて他人を必要としているか
自分自身を支えることさえできない。
そしてその弱さ故の求めに隣人として応えることが どんなに大切か

人間として、
隣人として、
共に生きるものとして。

それは医者という職業を通じてでもいい
しかし
僕の結論は
他の形でもいい ということだ
僕にもできることとできないことがあるし
僕にも得意もあるし 希望もある
何より夢がある

金額で測られる価値でないものを
あくまでも信じ
金額で示される価値の系列に属しない
覚めた者であり続けること。