“日本人は、「仕事と稼ぎ」という概念を作りました。 昔の村では仕事と稼ぎの両方が出来て一人前と認められたそうです。  ・「稼ぎ」とは、百姓や出稼ぎなどで、自分たち家族が食べていくこと。  ・「仕事」は、今は飯のタネ(お金)にならないが、将来の孫子の時代のために、 今やっておかなければ、この共同体が維持出来なくなること。  例えば山林の管理・灌漑・祭り・屋根葺きなど。  (かつて祭りは、共同体を維持するために共通の感性を持つのに必要で、これも仕事。)  祭りの差配をすることは大変な仕事す。  

“日本人は、「仕事と稼ぎ」という概念を作りました。
昔の村では仕事と稼ぎの両方が出来て一人前と認められたそうです。
 ・「稼ぎ」とは、百姓や出稼ぎなどで、自分たち家族が食べていくこと。
 ・「仕事」は、今は飯のタネ(お金)にならないが、将来の孫子の時代のために、
今やっておかなければ、この共同体が維持出来なくなること。
 例えば山林の管理・灌漑・祭り・屋根葺きなど。
 (かつて祭りは、共同体を維持するために共通の感性を持つのに必要で、これも仕事。)
 祭りの差配をすることは大変な仕事す。
 今はリクリエーションだなんだと思われていて、差配役も
 「やれやれ、町内会で順番が回って来たからしゃーない、やりますかね」ですが、
 本来重要な仕事だった。
 仕事と稼ぎが両方出来て一人前ですから、
 私たちが普段仕事と思っている、金だけ稼いでいる人は半人前で、一人前扱いされなかった。
 (昭和世代が明治世代に中々一人前に認められなかったのを思い出す)
 町方も全く同じです、コミュニティである「講」の世話とか祭りの世話などは、
 完全に仕事としてやっていました。
 江戸時代は江戸100万都市に50人位しか、今で言う都庁職員はいなかったそうです。
 何故そんな体制で出来たかと言えば、この仕事と稼ぎの概念の為だと思う。
 仕事という概念があったから、稼ぎではなく実組織を自分たちでやっていたのです。
 日本人は仕事と稼ぎという概念を作って、集落、町を維持してきたのです。”