人工知能 将棋の話 医学的診断と治療では有効か 精神医学では有効か 18歳が一流誌に「量子もつれ」論文を掲載 18歳の青年が、量子コンピューター実現等のカギを握る「量子もつれ」を扱った論文を、世界有数の権威ある物理学誌『Physical Review A』に発表した。15歳から量子の世界に取りつかれたという彼の子ども時代等を紹介。物事は一直線に進んだわけではなかった。 アリ・ディコフスキーは15歳のときに、PBSのドキュメンタリー番組で物質の新たな相であるボース=アインシュタイン凝縮(BEC

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18歳が一流誌に「量子もつれ」論文を掲載
18歳の青年が、量子コンピューター実現等のカギを握る「量子もつれ」を扱った論文を、世界有数の権威ある物理学誌『Physical Review A』に発表した。15歳から量子の世界に取りつかれたという彼の子ども時代等を紹介。物事は一直線に進んだわけではなかった。
アリ・ディコフスキーは15歳のときに、PBSのドキュメンタリー番組で物質の新たな相であるボース=アインシュタイン凝縮(BEC)の生成に取り組む物理学者たちを知った。そのとき直観に反する量子の世界に魅了され、同時に、人々がこれまで見たことのないものを生涯をかけて作り出すという考えに心を打たれた。
BECは、1920年代にアルベルト・アインシュタインとインドの科学者サティエンドラ・ボースによってその存在を予言されていたもので、固体でも液体でも気体でもない。プラズマでもない。超低温状態でのみ生じ、不可思議な量子力学特性を示すBECは、そのいずれとも異なる物質相であり、複数の原子が集まってひとつの「超原子」として振る舞い、粒子が波のような挙動を示すものだ。
現在18歳になったディコフスキーくんは、BECとはまた別の量子世界の奇妙な現象である量子もつれに関する研究論文を、世界有数の権威ある物理学誌『Physical Review A』に[5月29日付けで]発表した。
共同量子研究所(Joint Quantum Institute)に所属する研究者スティーブン・オルムシェンクを共著者としているが、「すべての力ずくの計算や、その他の細かな作業のほとんどをアリが担当した」とオルムシェンク氏は言う。「確かに彼は若いが、主著者にふさわしい」。(共同量子研究所は、米国立標準技術研究所(NIST)とメリーランド大学カレッジパーク校が共同して運営する研究機関だ。)
この論文は、空間的に離れていて、そして非常に違いの大きいふたつの粒子を、光を使ってもつれ状態にする方法についての理論的解析であり、解析の約90%はあらゆる可能性を試すための「力ずくの計算」からなる。この論文は、技術研究の究極の目標とも呼ばれる量子コンピューター開発の試みに新たな境地を開く内容となっている。
ディコフスキーくんの母親によると、彼は3歳のころから算数の計算が大好きだったという。自動車のなかで父親から出される算数の問題を解くのが好きだったのだ。
父親はイェール大学で経営学修士を得た市場リサーチャーで、ハイテク企業の幹部だった。初めのうち、父親から出される問題は足し算や引き算の簡単なものだったが、すぐに複数桁の掛け算や、大きな数の平方根になっていった。そして小学校に入ると、物理学の問題に近くなっていった。
「学校では退屈だったけれど、学校から帰ると父親が代数の問題を用意してくれていた。そしてそれはだんだん、数学というよりは、数学を使って何かを表現する性格が強くなっていった。物理学とはそういうものでしょう」
しかし、物事は一直線に進んだわけではなかった。彼が9歳のときに父親が心臓障害で突然亡くなったのだ。47歳だった。
ディコフスキーくんが持っていた学習への関心はほとんど死に絶えるところだった。「彼は何年も、非常に落ち込みました」と母親は言う。
「ぼくはいろいろなことに希望を失ってしまった。特に自分の勉強については絶望した。父親なしでは、自分の勉強など無意味だと思ってしまったんだ」とディコフスキーくんはいう。「2週間ずっと、家から出るのを拒んだ。その後学校に行かされたけれども、幸せではなかった」
そんなディコフスキーくんに、幼いころからの好奇心を再び呼び起こさせてくれたのは、母方の祖父だった。「物事に関心を失ってしまった状態であっても、学校での勉強はやさしすぎた。けれども祖父は、物事を違ったやり方で見ることを教えてくれた。成績でAを取っても無意味だと祖父に言われて、ぼくはびっくりしてしまった。祖父は、Aを取ってもそれはお前のベストではないし、ベストに近いものでもないと言った。時間はかかったけれども、そのうちぼくは祖父の言うことを理解するようになった」
ティーンエイジャーとなったディコフスキーくんは母親の勧めもあり、バージニア州スターリングにあるラウドン科学アカデミーに入学した。このアカデミーは、ラウドン郡の公立学校から科学や数学の才能のある生徒を選抜して教育するマグネット・スクールだ。
テレビ番組でBECと出会ってからは、ディコフスキーくんは量子力学の基礎を独学で学んだ。そして独学に限界を感じた彼は、大学教授や研究者およそ70人に電子メールを送り、もっと勉強したいので力を貸してほしいと依頼した。
ひとりだけが答えてくれた。それが、NISTにいたオルムシェンク氏だ。同氏はしばらくディコフスキーくんにとっての先生になったが、彼らの関係はそのうち協力関係になっていった。
「量子情報の保存手段として、何十ものシステムが提案されている。情報をひとつの形態から別の形態へと移行させるための知識を増やせば、それだけ量子コンピューターの実用化に近づくことになる」
ディコフスキーくんは今回の論文で、Intel Foundationから50,000ドルの奨学金を得た[Intel ISEF(国際学生科学技術フェア)で次点となった。以下の動画はISEFでのインタヴュー]。そしてスタンフォード大学への入学も決まった。しかし、それは古典的な世界での話にすぎない。彼は量子の世界において、もっと進んだところにいるのだ。