“ぼくは生きたいから、論理に逆らってでも生き続けるんだ。いかにものの秩序を信じないといっても、春にほころんでくるねばっこい小さな芽をぼくはまだ愛する。蒼空を愛するんだ。よくあるだろう、時々わけもなくだれかを好きになることが。そんな人たちをぼくは愛するんだ。とっくに信仰なんか失くしたらしいけど、古い習慣から心ではまだ畏敬の念を抱いているといった偉大な人間の業績をぼくは愛するんだ。ぼくはねえアリョーシャ、ヨーロッパ旅行がしたくて、これから出かけるところなんだ。ぼくは、自分が行こうとしているところがただの墓場に

“ぼくは生きたいから、論理に逆らってでも生き続けるんだ。いかにものの秩序を信じないといっても、春にほころんでくるねばっこい小さな芽をぼくはまだ愛する。蒼空を愛するんだ。よくあるだろう、時々わけもなくだれかを好きになることが。そんな人たちをぼくは愛するんだ。とっくに信仰なんか失くしたらしいけど、古い習慣から心ではまだ畏敬の念を抱いているといった偉大な人間の業績をぼくは愛するんだ。ぼくはねえアリョーシャ、ヨーロッパ旅行がしたくて、これから出かけるところなんだ。ぼくは、自分が行こうとしているところがただの墓場にすぎないってことは百も承知のつもりだ。しかし、それは尊い墓場なんだ─まったくそうなんだよ。そこに眠っている死者たちは尊い。彼らの上にのっかっているどの墓石も、燃えるような生涯や、彼らのなしとげたことへの熱烈な信念、彼らの真理と彼らのたたかいを、物語っている。だからぼくは、自分が地面にくずおれてこれらの墓石に接吻し、その上で泣いてしまうだろうってこと、そして─そして同時に、それがずっと昔からただの墓場でしかないのだってことを自分が十分に確信しているだろうっていうこと、それは前もってわかるんだ。そして、ぼくは絶望のために泣くんじゃない、泣くことが幸福に感ずるから泣くだけなんだ。自分の感情に酔ってしまうんだ。ぼくは春のねばっこい小さな葉と蒼空が好きなんだ─ああ、そうだよ。それは理知や論理の問題じゃないのさ。内側で、腹の中で愛するのさ。初めて生まれでてくる自分の若い力を感じるために愛するんだ……”
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」から、イワン・カラマーゾフ
ボリス・クズネツォフ 「アインシュタインとドストエフスキー 十九世紀の主たる倫理的・美的問題と現代物理学の関係にかんする研究」第6章「ドストエフスキーの問いかけとアインシュタインの答え」からの孫引き。
小箕俊介 訳 れんが書房新社 1985年