会社恐怖症

DSMⅣで大うつ病のあたりだと
これらの症状のうち少なくとも1つは、1.抑うつ気分、あるいは 2.興味または喜びの喪失である。
というのがあって、よく考えてみると
実際の診療とはずれている。

実際は仕事ができないとか学校で勉強がはかどらないとかで相談に来る。

気分が憂うつであっても、仕事ができていればいいわけだ。
興味や喜びの喪失、それ自体に悩むというのも、一般にはなかなか共感しにくいのではないだろうか。

興味がなくても仕事をしているわけだし、喜びがなくても仕事をしている。
興味も喜びもないけれども家族と一緒に食事をしてお小遣いを渡したりしているだろう。

失恋、肉親の死、ペットロス、不満な人事、悲しくて不愉快なことは世の中に多いが
そのことで「憂うつ」というような悩み方は一般的ではないように思う。
大きな悲しみであるというのが言葉としては近いだろうと思う。

たとえば中国と日本が国と国として国連の会議で名指しで非難したとして、
そのことを憂うつでやりきれないと悩む人は少ないのではないか。
自殺が増えたとも聞かない。
むしろ、なにか発言してやろうとか暴れてやろうとか思うものらしいではないか。

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仕事、勉強、友人関係がうまくいかないので、休みたいという人はいる。
それは憂うつというよりも、恐怖なのだろう。
ましてやその場合は興味や喜びの喪失ではなくて、休みをとって旅行に出かける興味があるし喜びがあるようだ。

その場合、分類としては、うつ症状と言うよりは、恐怖症と言える面がある。
仕事が怖い、上司が怖い、会社が怖い。
それらから遠ざかれば、一時的には安心する。

会社恐怖症とか学校恐怖症とか言えばそれはそれで一面をとらえているのかもしれない。

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そもそもの話、人間の脳の基本的な仕組みとして、欲動(欲求)の満足が考えられていた
これは空腹になれば何かを食べる
眠くなったら眠る
精液が溜まったらセックスをする
というたぐいのものである
もちろんその他にもたくさん表現の方はあるが
単純化して抽象化すると
自己保存と種保存である

マズローの欲求段階説だと食欲や性欲は比較的下位の基本的な欲求であり、
自己実現の欲求とか集団内での承認とかが比較的上位の欲求である

これらの欲求の満足が遮られた時に(昔の言葉であるが)神経症が起こる

これらの欲求が起こらない時、うつ病(depression)と呼ぶ、というような雰囲気の時代があったのではないかと思う

食欲なし、睡眠欲求なしでは、自己保存ができない。死んでしまう。極端になると自殺になる。
性欲がないと種保存ができなくなる。

DSMⅣでいう 2.興味または喜びの喪失 はこのようなことを背景として意味を考えればいいのだろうと思う。

自己保存欲求も種保存欲求もなくなるとしたら、たしかに困った状態である。

こうした考えは1900年の始めの頃、エネルギー力学で、水車とか蒸気機関とかそんなものをモデルにしていた当時のものだと思う。

時間が立てば精液は溜まってきて、それを吐き出したくなる。
愛情に値する異性がいればそれが性の対象になるし、いない場合には、ただ異性というだけで対象になるし、
それも存在しなければ、さらに何かを対象にするというような考えだろう。
自動的にエネルギーが溜まって、それを排出する、ぜんまい仕掛けの人形のようなモデル。

ゼンマイが巻かれてエネルギーが溜まっているのにせき止められている。それが神経症。
ゼンマイが切れて、ぴくりとも動かない。それがうつ病。
このような対比になる。

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そのように考えてくれば、
うつ病という言葉で、 2.興味または喜びの喪失 を意味するのはやや特殊だということが分かる。

生きるための基本的な欲動の消失である。

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それに比較して、
1.憂うつ、悲しみ、は日常的な喪失体験の延長として理解できる。

そして会社で仕事がはかどらない、という場合、1.憂うつ でもないし、2.興味と喜びの喪失 でもないことが分かる。

会社で仕事がはかどらず、上司に叱責された場合、
元気がなくなるし、自身がなくなる、頭が回転しなくなる、怒りがたまる、というあたりは分かるがうつ病とは別のものだろう。

しかしそれは微細に観察した場合であって、
結果としては、憂うつだとも言うだろうし、食欲減退、不眠を訴えるだろう。
そして生きる意欲がないとも言うだろう。なぜいつまでもミスが続くのか自分でもわからないと言うだろう。

ミスが続くのは注意の欠陥があって、その結果かもしれない。
ミスが続くのは知能の欠損があって、その結果かもしれない。
コミュニケーション不全があるのは、脳に器質性の欠損があるからかもしれない。

そのようなものを色々と除外して、
1.憂うつ ・・・喪失体験の延長
2.興味と喜びの消失 ・・・基本的欲求の消失
という別の系統のものをいちおうひとまとめにしてあるのが
DSMの診断基準というものらしい。

そしてこれは別の系統であるが、しばしば紛らわしいものとして、
3.会社恐怖 があり、これは休暇を取れば元気になり、旅行にも行ける状態である。
うつ病ではないのだからずる休みだというのではない。実際に会社恐怖なのである。

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こうした事態に対してmood disorderという名付けはやはりふさわしくないようにも思う

2.興味と喜びの喪失 については 欲動の病気 drive disorder と言うべきなのではないか

1.憂うつについては喪失と剥奪の病気というべきだろう
こちらは反応性うつ病のカテゴリーである。反応の内容としては「罪の意識」が中心だと思う。
恨みとか怒りとかそのようなものは3.に属するのであって、「取り返しの付かない罪の意識」によって生じる、
反応性うつ状態とは違うように思う。
しかし精神の発達段階として未熟な場合には、罪よりもむしろ「恥」の要素が大きくて、反応性うつ状態が成立するのかもしれない。

3.会社恐怖症については そのまま 会社恐怖症 と呼ぶのが明確で良いと思う。
会社恐怖症なのだから、会社以外では練習もできないし、したがって、復職は案外難しいことになる。
会社は変わらないのだから、自分を変えるしか無いのだが、自分を変えるという動機付けが出来ないし、
自分を変えることに納得もしていない。自分が悪いとは思っていない。むしろ反省して変わるべきなのは
会社であり、上司であり、周囲の人々なのである。そこの部分の根本的な被害的感覚が取りきれないので、
自分と会社との対立は続き、困ったことに、その戦いに勝ったとしても、居心地が悪くなってしまうことは避けられない。

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1.憂うつ は 欲動がある、しかしせき止められている。
2.興味と喜びの喪失は、欲動が消失している。
3.会社恐怖症は、欲動はある、しかし能力がないか対人関係技術がないかの理由で、職場でうまくいかない。会社不適応である。これが不法労働行為に当たるものならば労組や労基で相談であるが、そういうところに行くと、それはパワハラ相談窓口か心療内科に行ったらどうですかと言われる。それは暗に未熟な性格で社会や組織に適応できないことを匂わせているようだ。

しかし会社というものは人間に合わせて作られているものでもないので、不適応になる人間が一定数出るのはしかたのないことだろう。それなのに無理矢理に自己啓発方面の本で自己改造しようとしても限度があるだろうと思う。

DSMで欲動と明確に言わないのは、それを客観的に測定できないからだ。そして客観的に観察できる項目で言えば、1.と2.を分離しないで置いてもいいし、1.と2.が分離できるという考えも、欲動という実態の不明なものを基本にして考えているからそうなるだけで、moodという言葉で考える限りは、やや大きめなmoodの箱を用意しておいて、とりあえず入れておこうという感じらしい。

そして3.はmoodの問題とも言えないのであるが、幾つかの診断項目に○☓をつける方式でいえば、自分はmoodの問題なのだろうと自己診断するらしい。

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別のまとめ方で言えば
1.憂うつ は 欲動がある、しかし無意識のレベルで抑圧されていて、症状としては2.のリビドー消失と似た形を取る。失恋やペット・ロスのタイプ。2.興味と喜びの喪失は、欲動が消失している。3.会社恐怖症は、欲動はある、葛藤は意識レベルまたは行動レベルで表現されている。つまり、上司に対する攻撃性、不満表出という意識的側面。また、朝起きられないとか勤怠悪化などの行動で示される。しばしば受動攻撃性パターンを取る。
というように分類できるかもしれない。
DSMは1.と2.をうつ病と認定している。3.はそもそも考えていない。
3.を行動の面から見ればパーソナリティ障害の部分があるし、欲動の頓挫という面から見れば神経症の側面がある。3.の中の欲動の頓挫に由来する神経症成分をひろって、DSMのうつ病と認定することはできる。
2014-11-11 00:41