” 最後の敵 現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者ならまず知らない者はいないぐらい悪性度の高い(予後の悪い)種類の腫瘍だったからである。たまたまその頃大学の死生学の講義でガン患者のインタビュー集を読まされていた時で、その中の「自分がガンであると告知されたときよりも、周囲の人々にそのことを伝える方が私にとってはずっと苦痛でした。そう伝えたとたんにみんながすうっと後ろに下がっていくように感じた

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最後の敵
現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者ならまず知らない者はいないぐらい悪性度の高い(予後の悪い)種類の腫瘍だったからである。たまたまその頃大学の死生学の講義でガン患者のインタビュー集を読まされていた時で、その中の「自分がガンであると告知されたときよりも、周囲の人々にそのことを伝える方が私にとってはずっと苦痛でした。そう伝えたとたんにみんながすうっと後ろに下がっていくように感じたからです。彼らの頭の中で私なしの人生がそこですでに始まっていました、私はまだ目の前にいるというのに!」という言葉を思い出し、彼にどういう言葉をかけるべきか少し考え込んだ挙句、結局「現在の彼」のことについて聞くにとどめた。それが最善であったかどうかはわからないが、少なくとも彼にそういう思いをさせたくはないと思ったからである。
まだ一般病棟で働いていた頃、ある末期がんの患者が「最初は痛かったり苦しかったりするのはイヤだな、怖いなって思ってたんだけど、実際こうなってみても予想してたほど痛くも苦しくもない、なんだかアテが外れたような気がする」と言うのでわたしはもう少し突っ込んで聞いてみようかと思い、具体的に今、何が気になっていますか?と尋ねてみた。するとその患者は少し考え込むとこういう話を始めた。
「なんていうか・・・外の世界は何もかもずっと続いていくんだけど、その中から自分だけがいなくなるんだっていうか・・・それを納得しなくちゃいけないんだ、っていうことをずっと考えてる」
わたしはその患者の話を聞いたときに、初めて一人称としての「わたしの」死をリアルに想像した。それは本当にひやりと身体の内側から寒くなるような怖さだった。それまで何人もの死を見て、それなりにいつも考えるところはあったが、所詮あれはやはり誰かの、三人称の死でしかなかったのだと思う。そしてキュブラー・ロスが提唱した「死の受容過程」の最後は「受容」だったが、最後に受け入れねばならないのは「まったくの孤独」だとも言っていたのを思い出した。アルチュール・ランボーが骨肉腫で入院し死の床にあったとき、「僕はこれから死ぬというのに君たちは相変わらず日の当たる通りを歩く!」と見舞いに訪れた妹や友人たちを片っ端からなじり、怒りをぶつけ続けたという。最初その話を何かで読んだときには「なんちゅう理不尽な」と思ったのだが、それが終末期の身体的な苦痛からくる苛立ちでしかないと思っていた自分の浅はかさに気づくとともに、緩和ケアでよく使われる言葉ではあるものの、実体が今ひとつピンとこなかった「霊的苦痛」とも訳される「スピリチュアルペイン」とはこれだったのか、と初めてわかったように思う。
「先にボケた者は幸せ、という嘘」というエントリを以前書いたことがあったが、その中で「何もわからなくなってしまった」と言われる認知症患者が実は「現実社会」からゆっくりと自分ひとりが切り離されていく恐怖感は自覚していて、わたし達には一見不可解にも見える彼らの言動の中にその恐怖感に対する必死の抵抗がある、と書いたことがあった。当時それを書きながら13歳下の弟がまだ赤ん坊だった頃、寝ぐずり泣きする彼を抱えて歩き回り(子どもの夜泣きに悩まされた人にはよくわかると思うが、抱き上げて歩き回っていると眠りそうになるのに、眠ったかなと思いそーっと下ろそうとすると、いや下ろして別のことをしようかなと考えた瞬間アカゴというものは何かを察知したようにまた目を覚まし泣き出すもので)あやしながら、こんなに小さくても、自分の意識が眠りという形であれ「世界」からひとりきりで切り離されるのがわかるし怖いのだろうな、と中学生の頭なりにぼんやりと考えていたことを思い出していた。最初にその患者が「アテが外れたような気がする」と言っていたように、ほとんどの人は死の間際の身体的な苦痛ばかりを取り上げて恐れているように思う。尊厳死の問題が出てくると必ず安楽死とリンクさせて、その安楽死に何かのファンタジーを求めているように見える人が少なからずいるのはそのせいかもしれない。しかし身体的な苦痛をまったく取り去ったところで、この種の「恐怖感」から決してひとは自由にはなれないのかもしれない。それこそ「その瞬間」がくるまで。
去年のアルゼンチン行きは尊厳死法案について現地の医療現場での聞き取りをするのが目的であったのだが、それは同時に「自分の死」を意識する旅でもあった。人は必ず死ぬものである以上、終末期というのは老いたから、病を得たからといっていきなり始まるものではない。わたし達は「さしあたり健康な体」を担保に入れて「いつか消える自分」をしばらく忘れていられる期間を借りているだけなのだということすら忘れている。そしてあるとき急にそのことを思い出さざるを得なくなる、しかしそのときにはもう時間がない。
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