蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。 身を養ひて、何事をか待つ。期する処、たゞ、老と死とにあり。その来る事速かにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。 徒然草 第七十四段 ーーー

蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。
身を養ひて、何事をか待つ。期する処、たゞ、老と死とにあり。その来る事速かにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。
徒然草 第七十四段
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生を貪り、利を求めて、止む時なし。
の一節は現在と未来のグローバル資本主義の形容としてふさわしいと思うが
一方でグローバリゼーションには、遠く離れた人と人とが理解し合い、
愛しあい、場合によっては家庭を築くという面もある
その意味で国境も文化も言葉も超える
グローバリゼーションが人類の融和をもたらすまである程度時間がかかると思うが
それより先に破壊的なグローバル資本主義が収奪を進行させてしまうか
それとも人類の融和が先に進行するかの問題がある
融和が先に進行してほしいものだ
融和が進行するには明治維新のように外敵が出現するのがわかりやすいのだが
しかし明治維新を見ても、実際には融和ではなく、領域内の支配と抑圧が
長州と会津でできあがっただけ
さらには長州の内部でも支配と抑圧が完成しただけとも見える
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吉田松陰の話を大河ドラマで演じているが
演出の都合もあるのだろうが
いつも怒鳴って、狂えとか、行動だとか、決行だとか、なにか普通でないものを見ている気分になる
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昔から有名なものに
「吉田松陰シンドバットひらく」というものがある
このことが頭にあると「なぎさのシンドバット」や「勝手にシンドバット」も
更に広がりのあるイメージとなる