人の心がわかるということ

いま、人の心が分からない障害として
自閉性障害や発達障害が問題になっている

そもそも人間は人の心がどの程度わかるものだろうか

先輩のお医者さんのU教授という人がいて
自分の書いた本の中で、奥様に「あなたほど人の心がわからない人が、どうして精神科医ができるのか、不思議」
というような意味のことを言われていたと書いている。
U氏は「私は病気を理解しているだけだ」と謙虚に述べていて、さすがに学問が深い。

最近は夫婦で喧嘩をすると、たいていは奥さんの側で、
この男は他人の気持ちがまるで分からない、病気に違いない、
アスペルガー障害とか発達障害、自閉性障害、ADHDなどの記事を読むと
かなり当てはまるようでもある
と考えて、あなたはお医者さんに行って、治療してもらいなさい、と宣告する
すると夫は素直に医院に来て相談を始める
なんて素直な夫だろう、妻がどれだけ怒ってどれだけ失望しているか分かっているから
わざわざ相談にも来るのだろう
いい夫なのである
妻の心が分かっている

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一昔前を考えてみると、夫婦で心が通じ合うなど、課題ではなかったと思う
丈夫な子供をたくさん生むことが主題で
あとは何とかして食べる分を稼ぐことだった
子供が産めないとわかると妻は離縁された

男と女は理解し合うものというような発想はloveという概念とともに最近になって輸入されたものだろうと思う
そもそも教育が違ったわけだし
役割も全く違ったのだし
表面的な男尊女卑もあったし
もっと大きく言えば福沢諭吉が問題にした身分制度があったりして
もともと『違う人間だ』という理解で、分かり合えるということなど、はじめから否定して、
『おれは男だ!』とか『私は○○家の令嬢です』と言っていればよかった
お前になんかこの私が分かるはずがないし、私もお前のことなんか分かるはずがないというわけだ

また宗教との関係もあり、現実よりも宗教の教えを重んじるなど、
実際は現実把握の苦手な、コミュニケーション障害なのだけれども
見かけ上は尊い人に見える

地域ごとに、あるいは家門ごとに風俗習慣も違うので理解し合うのはずっと先の事だっただろう

その範囲で言うと、男性にコミュニケーション障害があっても、特に問題にはならないだろう
先祖伝来の仕事を継げばいいだけで
それもたていては農業なのでまあ問題はなかっただろうと思う
大家族制だからなんとかなった
女性の場合は、子供を産めば、後は集団育児体制の大家族制だから、これも問題はない
口数も少なく、むしろ昔風の貞淑とか節義とかにはよく当てはまるので尊敬されたかもしれない

良妻賢母となるにはコミュニケーション障害でも問題はなく
貞淑、従順、温和などの条件には当てはまるだろう

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最近になって男女平等の学校教育が施行され
女性も企業戦士ということになってきたので
学校でも平等、企業でも建前上は平等なので
当然家庭でも平等で、お互いに心を分かり合って、loveしあうのが理想だということになる

しかし遺伝子はそのようにできてはいないので
いろいろと葛藤的な場面が発生してしまう

そのような状況ではかなり中性的な男女同士ならばあまり葛藤なく生活できるのかもしれない

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たいていの夫婦はかなりのことを耐え忍んでいるわけで
外から見て分かり合っている夫婦というものは仮の姿であることも多い
根本的にはあきらめているだけであって
深く本質的なコミュニケーションなどあったためしはない

どこかにはあるのだろうかと思うと
浮気をしたくなるらしい

そんなものはどこにもないと思い知るのは人生の晩年である

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理解するということと譲歩するということの微妙な差も難しい
私を理解してという要求は
譲歩しろという要求と複雑な具合に重なっている
人間は最後の最後は大変なエゴイストなので深く掘り下げるとろくなことはない

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発達障害、自閉性障害、アスペルガー障害、ADHDなど、まだ本態が明らかではなく、
指摘されて研究され始めてから100年もたっていないようなもので
DSMの改定のたびに概念変更が言われたりもして
まことに頼りない

典型例というものは確かにあって、それは激しく典型的で、何の妥協も許さず、
その疾患カテゴリーの存在を主張し証明し続けている
しかし世間に存在する多数例は典型的ではなく、ある程度薄まり、変形しているので、なかなか困難なところもある

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類似のものとして昔からよく言われるのが単純型シゾフレニーである
私見を述べると、シゾフレニーの典型的経過は陽性症状を起こし、そのあとで陰性症状に苦しめられる
これは躁うつ病の場合に、躁状態のあとでうつ状態に苦しむのと並行的な事象である

陽性症状と躁状態のときに上位中枢が破壊され、そのあとしばらくは欠損症状に悩むことになる。
陽性症状や躁状態が明確にならずに陰性症状やうつ状態だけを反復するケースもある
ひとつには現代社会は陽性症状や躁状態を病気と思わない傾向があるからだろう
スポーツでも勉強でも仕事でもよく頑張る人は偉いのであって、それはひょっとしたら症状だろうかとはなかなか思わない
反社会的なことに熱中するなら病気を疑うだろうが
社会的に認められることに熱中しても病気なのかなと疑う人は少ないと思う

現代では住居の異動が簡単になり、脳のドパミンセッティングが昔より難しくなったと思う
また、通信技術の発達は実にシゾフレニーの世界を現実にしてしまっているようで、怖いものがある
LINEでみんなで陰口を言って仲間はずれにするなど、シゾフレニーの人が昔から悩んできたことであるが
昔はそんなことは実際にはないと言えたのだが
最近では実際に起こっているのでややこしい

情報技術の発達がシゾフレニーの温床にもなり、同時に豊かな社会は発達障害の培地にもなっている
ひきこもりをしてゲームばかりをしている子供に
子供のためと思ってゲームを禁止にすると
猛烈に反発されたりする
これは親には理解できないようだ
もうすでに子供はうちの子供ではなく、ゲーム世界の住人なのである
家からは食事と寝床と通信費が出ていればそれでいい

子供なりに親を理解しているが
所詮別世界の人と思っている
分かり合う対象ではないらしい