間主観性

人間という表現が特徴的であるのは

人ではなくて
人と人との間を表示していることである
第一義的に存在しているのは間主観性の事態であって
個々の人間ではない
ここでいう対人関係という言葉は
単に対人関係の悩みという次元のものではない
主観と主観の間に成立する何かが主観を超えて主観を規定するものである
それを間主観性と呼ぶ
超越論的議論である
いや、そんなことはない、人間は独立して個人が考えることができるというかもしれないが
そんなことはない
言語を使うことがまずその証拠である
独立して考えるならば
全く独自で個人的な言葉を使用して良いのだが
人間はたいていの場合、他人に通じる言葉を使う、
そもそも他人に習ったのだ
母国語というOSを時間をかけてインストールしている
その場合、いつも間主観性を参照している
平たく言えば相手の気持とか相手の考えといいそうだけれども
そしてつまりは対人関係だといいそうだけれども
そうではない
人間は相手の気持によって動くのではない
人と人との間に発生する間主観性に従って動くのである
はじめに間主観性があり
それが分節化して
私の考えになり、相手の考えになるのだと考えられる