選挙で何を選ぶのか

選挙で何を選ぶのか

色々と言われているが
結局めくらましのためのものが多い

マスコミは増税大賛成を宣伝し続けて
国会を通ったら、その瞬間から、完全に忘却、
次の話題で持ちきりである

ーー
原発の問題にしても非常にテクニカルな問題であるから、
そう単純に素人が論じることもできない
しかし専門家は原子力村の構成員で信用出来ない
ではどうするかといえば、どうにもできない
原子力村の構成員が改心して信頼出来る人間になったとしても、
結局その人も、全体を把握しているわけではない
巨大科学とはそのようなもので
群盲象を撫でるのごときである

しかしそれでも何かを決めろという
その場合、役所の担当が集まって大枠を決定して、あとは宣伝を周知徹底して、
それが国民の選択であったとマスコミに書かせて、一件落着である

役所の内部の価値原理はひとつは自分たちの保身であるが
もう一つはやはり強力に日本国の繁栄であり、同時に世界の繁栄である
この、公の意識は、庶民が考えているよりも、ずっと強い動機になっていると思われる

それでも時に色々とうまくいかないのは、問題が複雑すぎて、解決を見通せないからである

ーー
税金の問題で言えば、
高福祉で高負担か、低福祉で低負担か、大きな政府か小さな政府かとか、
国民に選択の余地があるかのように聞こえる

これは実は嘘だと思う

自由か平等かという価値選択に集約するとして、
ここで「強い社会」という尺度を持ち出すと、
これは完全な自由が一番強いのでもなく、
完全な平等が一番強いのでもない

どの割合で混合すれば一番強い社会になるか、それは投票で決まるのではなく、
社会の諸条件で決まるものである
技術発展の段階とか、人々の宗教的信念とか(実は宗教的信念は技術発展の結果としての変数であって、本質的な変数ではないと言われる)、

ここで「強い社会」とは、ある方針を社会が採用したとして、
それをある期間持続した場合に、別の方針を採用した他の社会と経済的・軍事的・倫理的競争力がどの程度優位かという尺度である

これは緻密な計算が必要であるが、自由と平等をどの局面でどの程度混合するか、
それはテクニカルな問題であって、選挙民の直感に頼るべきものではないのだ。

ーー
こうして見てくると、選挙民は何を選ぶ事ができるのだろうか。
たとえばポストはそろそろ赤ではなくて銀色にしようとか。
その決定さえも、テクニカルな理由で「正しい答え」が出されてしまうかもしれないのだ

選挙民が選べるのは、「正しい結論のない」、「どちらでもいいが」、「どちらかを選ばなければならない」
そのような問題だろう

つまりそれは自民党か民主党か、生活党か、どれを選ぶかということだ。
だれでもいい、でもどれかにしないといけない、そして正しい答えはない。
選択できるのはそんなことだけ
あとはテクノロジーが正解を見つけてくれているのである