多次元精神医学 Holistic医学 Bio-psycho-social モデル

多次元精神医学からの連想

現代で言えばBio-psycho-social モデルということになると思う

まず頭に思い浮かべているのは
以前は心身医学の代表みたいだったストレス性胃潰瘍が
なんとヘリコバクター・ピロリの発見で
解明されてしまったこと

その場合、生物心理社会モデルとは何の役割を果たしていたのかということだ
反省はしたのかな

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To cure sometime
to heal often
to console always

といわれる

生物心理社会モデルでは、自分のしていることは、cureなのかhealなのかconsoleなのか
はっきり自覚していますか
という問題がある

最初はもちろんconsoleのつもりで、しかし
いつの間にかhealをしている気分になり
さらにいつの間にか患者も治療者もcureしているつもりになっているとしたら
どうだろう

疾病を診るのではなく患者を診よとか
精神科領域でなくても、そして精神科領域では特に、強調される
大切なことだと思う

安易にHolistic医学とかの名前も使う
反対に身体還元主義的な態度は高級なものとはされていない

Holisticな立場というものは生物心理社会モデルに加えてしばしばスピリチュアルな領域の癒しも含んでいて
そのような立場の人達が使う言葉でもあり
従って普通の立場からはやや注意を必要とする言葉になっている
私はむしろ、SPIRITUALな領域が大好きだし
Ken Wilber などの立場が好きなので
私が賛成したいHolistic以外のHolisticには苦々しい感覚を持っている

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患者さんのためにできることはなんでもしようという態度は大切だと思うのだが
していることのすべてが
cureではないことを忘れてはいけない
これはheal、これはconsoleと区別して混同しないようにしたいものだし、
わざと混同させて、治りにくい病気に関して、さらに事態を混乱させていることがないでもない

1980年ころから生物学的精神医学が急速に発展し
そのかわり、ナチに追われてアメリカに渡ってきて発展を続けていた精神分析の人たちの伝統は
下火になっていった。

しかし、お互いに伝統というものがあるので、容易に妥協はしないし、
さらにアメリカの場合には宗教的な関係もある。

普通に考えれれば、薬剤を適正に使用した上での、適正な精神療法はどうあるべきかが
もっと議論されて発展するべきなのに、そのような動きではない

心理療法や精神療法がある特定の人達の特定の興味をかきたてることは事実であるし
その人達は往々にして生物学としての精神医学を
やや下に見ているところがある
(かもしれない) 

全体論とか人間中心主義とか哲学的に見ても格好いいのであるが
実質何を意味しているのとか言えば
カテゴリーの混同があるようにも思う

今はもう古い言葉だけれど実存的とか現象学的とか人間主義的とか
すごく分かるし大切だし好きなんだけれど
肝心のところで少しだけエラーをしているような気がしないでもない

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実際的にはあまり重大問題ではなくて
自分が今していることはcureなのかhealなのかconsoleなのか
を区別しておこうというだけだ
言いたいことはそれだけだ

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伝統的な医学では、身体医学的な探索を充分にした後、
それでも原因が分からず、症状は確実にあるという場合、
人間存在のあり方を見つめていこうというアプローチになる
その「探索充分」の程度が甘すぎる場合があり、
せっかく治るものも治らないままでおかれている場合もあるのだろうと推定する
(あくまで推定である。Ghaemiも断定はしていない) 

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たとえばよくあるのは、精神科の薬を飲んだ上に、カウンセリングもしたら
きっといいに決まっているという考え方

なんてシンプルなのだろう
そのように考えている時点で
すでにカウンセリングは必要のない程度にシンプルな人間なのだと分かるような気もする

薬の副作用には非常に敏感で疑い深く
ネットの根拠のない書き込みを信じるのに
カウンセリングがもたらす甚大な副作用をなぜ考えないのだろう
不思議なことだと思う

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scienceとhumanismは
究極的には一致すると思うが
途中経過としては一致しないこともある

medical humanismといえば聞こえはいいが
実際何であるのかは
各個人の胸の中にしかない