源氏物語と長恨歌

昔学校で習った時に源氏物語は最高の文学だとのことだったのだが
現在にいたり最も明確にイメージが内蔵されているのはやはり長恨歌だと思う

源氏物語はいくつもエピソードがあるのだろうが
自分の義母と密通し、その義母によく似た幼子を理想の女性として養育するというのが
前半の大きな柱である

大切に育てるなんていうのが、いかにも稲作民族的である

しかし考えてみれば、もっとも能率が良いのは、すでに完成された成熟した女性を自分のものにすることである
理想の女性に似た幼子を養育して成熟を待つというのは、結局うまくいかない可能性が多いにあるからだ

自分たちよりも文明の進んだ民族と戦争をして、その民族の最高の女性を奪うのが
狩猟民族の流儀だろう
大陸の歴史の大半はそのようなものだろう
それは進化論的にも合理的で、その時代時代の優秀なY遺伝子が選択されて、
伝統的に養われたX遺伝子と結合し、文化も一部伝達される

固定されたY遺伝子が、多くのX遺伝子と結合しても、強い選択は発生しない
進化の側面では能率が悪いのである

優秀なY遺伝子というものを定義するのが難しくて
徳のあるものとも言えるだろうし喧嘩の強いものとも言えるだろうし喧嘩しないで勝つものだとも言えるだろう
結局結果として残ったものが優秀であったとしか言えないのであるが
だからこそ、残ったものは当然優秀なのである
そして歴史を書き換えてしまう

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小さな頃から自分の庭で育てるというのがいかにも稲作的な心性ではないだろうか

世界中を探して回って一番美しい花を探せばいいだけの話である

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源氏物語の構造はいろいろなXX遺伝子を物色するというもので
Y遺伝子同士が対決する話ではない
従ってこれは進化の本道ではないのである

固定したY遺伝子がいろいろなX遺伝子と結合したとしても進化の速度はたかが知れている
対決して生き残った少数のY遺伝子が広く子孫を残す構造のほうが進化は速い

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しかしそれではなぜ源氏物語では理想の貴公子が最初から存在して
女性たちは次々に恋をするのだろうか

なぜそのような物語を宮廷女性は好んで語ったのだろうか
戦争をして一番強かった男性と結ばれる女性の物語ではないのはなぜだろうか

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たとえば日本で男同士が決戦をした戦国時代でも
性的ピークと戦略的才能のピークは一致しない
ましてやその他の時代では優秀なY遺伝子と認定された時には性的ピークは過ぎている

性的ピークを過ぎた優秀なY遺伝子のしたいことは源氏物語的なものなのだろう

対決も、甲子園の高校野球ならば、性的ピークと一致するだろう

進化論的に選択された時にはすでに性的ピークは過ぎていて、
むしろ、その子供の世代の性的ピークが訪れている
美しい後妻を迎えた先帝が息子に不義密通を許してしまうのはつまりそういうことだろう

その時間差が影響している可能性はある

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たとえば平安時代やその前の時代に、大陸で激烈な闘争を経過して、事情があって日本に移動してきた勇者がいたとする
文化的には進歩しているし肉体的にも優れているし体験の質も量も歴然と違う
その場合、実質的には大陸で敗北したY遺伝子なのであるが
島国では戦う必要もないくらい優位なY遺伝子である
そのような仮定を置けば、源氏物語はすんなりと成立する
勝ち残ったのではないが、圧倒的に優秀であるY遺伝子、しかし、もう戦うことはしない
それよりさまざまなX遺伝子を探索したい

理想の女性を育てるというのも意味が違ってくる

島国の風土で島国風に育てばいいというのではなくて
先進の文化が染みこむように育てたいというのだろう

源氏物語の背後にそのような諸事情が見え隠れしているような気がする