年々、感動というものが薄れる。あまり驚くという事もないし、吹き出す様な事もない。そういう事ってあるなとか、それは以前に見たなとか聞いたなとか思う。これでもかというようなテレビや映画や画像を見ながら、日々、感情が劣化鈍化してゆく。 で、 日常の身近なもの些細なもので、無理矢理感動することにした。 観点を変えてみると、街角はすごいものだらけの、至福の路上だった。 ーーーーー このような認知の変更、認知の柔軟性を再度獲得することがうつ病の治療に役立つ

年々、感動というものが薄れる。あまり驚くという事もないし、吹き出す様な事もない。そういう事ってあるなとか、それは以前に見たなとか聞いたなとか思う。これでもかというようなテレビ映画や画像を見ながら、日々、感情が劣化鈍化してゆく。
で、
日常の身近なもの些細なもので、無理矢理感動することにした。
観点を変えてみると、街角はすごいものだらけの、至福の路上だった。 

ーーーーー
このような認知の変更、認知の柔軟性を再度獲得することがうつ病の治療に役立つ
今、ここで、自分は何を考え、何を感じているか、立ち止まって吟味してみるのである

コップに水があと半分しかないのか、まだ半分あるのか
という認知が二階建ての一階部分だとして
いま自分はどちらの認知をしているかと、自分を見つめるのは
二階部分で、それはメタ認知などと呼ばれる

メタ認知部分を成長させ
認知を柔軟にすれば、人生はずっと楽になる