「回復した家族」になるための五つのポイント 改めて考えると、「回復した家族」を具体的に挙げるのはなかなか難しいようです。「回復した家族」というのはある種の心の姿勢であって、具体的な行動はとっていないからかもしれません。ある人にとっては、希望を抱きながら献身的に患者の面倒を見ることが回復かもしれませんし、ある人にとっては、患者からはなれて自分の人生をしっかり送ろうと決意することが回復かもしれません。成人した患者の家族には選択の自由があります。少なくとも、ある程度は無くてならないと思います。 家族が回復す

「回復した家族」になるための五つのポイント
改めて考えると、「回復した家族」を具体的に挙げるのはなかなか難しいようです。「回復した家族」というのはある種の心の姿勢であって、具体的な行動はとっていないからかもしれません。ある人にとっては、希望を抱きながら献身的に患者の面倒を見ることが回復かもしれませんし、ある人にとっては、患者からはなれて自分の人生をしっかり送ろうと決意することが回復かもしれません。成人した患者の家族には選択の自由があります。少なくとも、ある程度は無くてならないと思います。
家族が回復する、すなわち病気に負けないために着目すべき視点として、
1.病気を理解すること
2.本人を理解すること
3.医療関係者とのいい付き合い
4.家族自身の生き方を考えること
5.社会に対する姿勢を考えること の五点を上げることが出来ます。
以下、順に考えて生きましょう。↓
病気を理解すること
最近、私達(精神保健の専門家)はPTSD、解離性障害などの精神疾患についての情報を、今まで以上に(勿論本人にも)伝えていかねばならないと考えるようになりました。しかし、家族が病気を理解するとはどういうことでしょうか。
 例えば、PTSDに関する教科書的な知識は、以下のように要約されます。
”誰にでも大きな苦痛を引き起こすような、並外れた脅威的な出来事に遭った。その状況への暴露により、侵入的な回想(フラッシュバック)、生々しい記憶、繰り返し見る夢等、入眠困難・睡眠(熟睡)困難、焦燥感、過度の警戒心、過剰の驚愕反応。
これらが最初のトラウマとなる事件が起こって六ヶ月以内、またはストレス期の終わりの時点までに起こっていること。”
となりますが、これは、自分の身内の病気に関する記述ではあっても、家族には満足のいくものではないでしょう。家族が知りたいのは、ほかならぬ身内の病気が治るのかどうか、今後どうなっていくか、自分達が今なにをすればいいのか、といったことだらけです。しかし、それでも、10年後にどうなるかなど、明言できないこともあります。要するに、「PTSDやそれによって起こる症状を軽く見ないでください。でも、けして不治の病ではないので、希望を持ってください」ということです。
 家族が病気を理解するためには、患者の病状に即して、逐一専門家に質問すること、出来るだけ多くのほかの患者や同じ悩みを克服してきた家族に会って、回復とはどういう事かを自分で体験することが必要です。
本人を理解すること
次は、病気を持った本人をどう理解し、どういう態度をとるかと言うことです。
患者は、心の中で家族に迷惑をかけてすまないと思っています。また、彼らの声を聞くと「入院した時に家族が励ましてくれて涙が出た」とか、逆に「自分の気の持ちようでどうにでもなると思われて悔しかった」など、家族に理解して欲しいと言う気持ちがとても強いことがわかります。
 周囲の人が病気になって、最も苦労しているの本人自身であると言うことを忘れないこと、人間はどんな状態でも自分のことを最も真剣に考えているものだと信じることが何より大切です。本人のとる態度が一見、周囲の期待とずれているとしても、よく話を聞いていると、本人が自分のおかれた立場でまじめに考え、行動していることがわかるようになります。患者の行動を、病気の自覚が無い、考えがまとまらないなど、すぐ病気のせいにしてしまうことも、逆に怠けているとか、わがままだとか言って人格を非難するのも正しくありません。
 勿論、はじめはそうならないように努めている家族が大多数ですが、病気が長くなるに連れて、つい「あなたがそんなところでごろごろしているから……」と言ってしまいがちです。家族と患者の関係は非常に近いので、こういうことを言わないで済ませるには、特別な自覚が必要になります。
 もっとも、これは、本人が希望することを何でもかんでもかなえてあげたほうがいいとか、決して患者に意見してはいけないと言うことではありません。人を理解するとは、最終的にはその人のために最もいいと考えられる行動をとることです。私が思うその人にと手一番いいことは、自分でできることは自分で行い、できないことがあれば周囲の助けを求め、最終的には自分の行動に責任をとれるように支援することです。
 ただし、こうしたいわば理想と、本人が現に家族に要求してくる内容の間にはギャップがあると思います。多くの家族が困惑するのは、まさにこの点でしょう。しかし、どこかに杓子定規に適用できるマニュアルがあるわけではありません。コミュニケーションの訓練では、自分との不一致や自分の不快感を相手にうまく伝えるのが最も難しい課題とされています。
ここでも、必要ならば専門家に意見を求めたり、家族同士の交流を通じて経験を蓄積しながら、個個の場面で試行錯誤を繰り返すことが、結局、最も早い解決法になるでしょう。
医療関係者とのいい付き合い
次は、専門家との関係です。PTSDの場合、専門家は病院だけでなく、心療内科にも保健所にも、地域の作業所にもいます。
私達は、「市民と専門化のための健康・医療ガイドセンター」という非営利団体の主催する「専門家と家族の交流会」と言う企画に参加しています。ある時、そこに参加している家族の方に、「精神医療に対して期待すること」というアンケートをお願いしました。その結果、「主治医が熱心に診察してくれる」などという感謝の意見のほかに、不満の声もかなり聞かれました。
例えば、医師に対しては、「今のドクターは何も言わないで気楽なものだ。精神化の病気は薬だけでなく、患者とのコミュニケーションをとりながら治療をしていかなければいけないと思うのだが、六年間同じ事でいいのだろうか」保健所の職員に対しては「保健所が関わった時期は、本人がまったく拒否が強くて、保健婦さんや医師に対してこころを開かなかった。訪問してくれた保健婦さんは、家族に対して、『大変ですね』と他人事のように話していた。親身に世話をしてくれる気があるのかと感じた」、作業所の職員に対しては「患者や家族に対して、『世話してやる』というような態度で接してくる職員やボランティアがいる」などの意見もありました。 
これは、家族が直接担当する専門家に言ったことではなく、アンケートに答えると言う形ではじめ
て漏らされたことです。家族は、質問や不満を専門家に言っても解決しないだろうと考えているか、「嫌だったら来ないでください」といわれるのを恐れているか、本当に言いたいことを遠慮していることが少なくないようです。しかし、人間の関係は、言いたいことが自由にいえてはじめてうまく行くものです。言われないと事態は変わらないし、言わないでいるほうの精神状態にもよくありません。
弁護士の鈴木利廣氏は、『患者の権利とはなにか』の中で、家族の病気の治療法について十分に調べて主治医とやり取りすれば、しなかったよりもずっといい結果が得られると主張しされています。勉強しながら、専門家に対して文句も言えるような存在になること目指すことが、病気に負けない家族であるためにとても大事なことではないかと思います。
といっても、医学の素人である一般の人は、一人で医学の情報を適切に集められないこともあります。そのようなとき、最近では他の専門家にセカンド・オピニオンを求められることが解決法になるといわれることがあります。
   セカンド・オピニオンとは、病気の診断や治療の方の選択について、主治医以外の専門家の意見を聞くことです。直接診察や治療に当たっていない専門家が行なうセカンド・ピニオンが正しいと言う保証は無いとの意見もあり、細部にわたって考慮すべき事はありますが、納得いく医療を受けるために、将来はこのような仕組みが患者のと権利となり、その結果を元に気兼ねなく主治医と相談できると言います。
直接主治医に話そうとしても、”三分診察”の中では何も言えないという声もよく聞きます。この場合は、別に時間をとってゆっくり話す機会を作るようお願いしたり、やむを得なければ、診察の三分間を出来るだけ有効に利用して、聞きたいことを、言いたいことをためないように工夫します。自分が納得するまで説明を求めたり、治療法について自分の疑問をぶつける姿勢が大切です。特に、珍しい病気でもなく、特に有名人でもお金持ちでもない私達は、こうした姿勢をしっかり持って、医療関係者に一目置かれるくらいになれるといいと思います。
家族自身の生き方を考えること
四番目の要素は、家族の生き方です。身内の発病後、家族の心には、自分のせいで病気になったという自責の念、「私が治してみせる」という決意、逆にもう治らないのではないかという絶望感など、さまざまな思いが去来するものです。こういう家族の気持ちは、PTSDに限らないと思います。
 経過が長引き、慢性期になってくると、こうした気持ちに変化が生じます。強い自責の念や絶望感は、「よくならないなら、せめてできるかぎり楽をさせてあげたい」という憐憫の情へと変わるかもしれませんし、「私が治してみせる」という決意は、「先のことはともかく、私の目の黒いうちは責任を持つ」という悲壮感になるかもしれません。患者と暮らしているうちに、いつも患者のことを中心に考えるようになり、終始自分がそばについていなければいけないと思いつめるようになる家族も少なくありません。
 しかし、家族が成人した患者の世話をいつまでも続けられるものでしょうか。かつてある日本の医師によって行なわれた、「精神疾患を持った患者はどこで暮らすのがいいか」に関する家族の意識調査の結果によると、発病から年月が過ぎるにしたがって、「家で暮らすのがいい」という回答が減り、逆に「病院で暮らすのがいい」と言う回答が増加し、回答数は発病後10年から15年の間で交差していました。発病後10~15年は長いようですが、後から振り返ると、実際はあっという間のように感じられることが多いようです。
 患者が20歳前後で発病したとすると、その時親御さんは大体50歳前後です。発病10年から15年というのは、父親が退職して第一線から退く時期にあたります。収入の面でも、体力の面でも発病時と同じようには援助できなくなる頃です。このころになって、家族の援助だけではどうしようもない壁に突き当たるわけです。
 こうした家族の状況とは別に、日本では精神保健福祉士法で、ほとんどが家族である保護者が世話をする義務を負うこととされており、ほんの10年前まで家族と病院以外に援助資源が殆どなかったために、たいへんでも家で暮らすか、そうでなければ病院に入院するかを迫られる否応ないものでした。保護者のあり方については現在、精神保健福祉法の改正で検討されているようですが、少なくとも現在(1999年)までのところ、殆ど何も変わっていません。
 こんな状況であるからこそ、逆に家族は自分たちだけで背負い込まず、出来ないことは周囲に援助を求め、そして何より自分自身の人生を大切にして生活をすることを考えるべきです。
 家族の人から、「旅行好きだったのに、子供が発病してから何年も行ったことが無い」という話を時々聞きます。こういう場合、とにかく旅行に行くことにし、「そのためには、誰に何を頼めば良いのか」という視点から問題を考え、出来ないことを一つ一つ解決していくことが大切です。
 患者本人にもお願いしなければならないことがきっと出てくるでしょう。その過程で、患者と家族の関係が変わり、患者の生き方が変わっていく可能性があります。患者が生きていく上で援助を受けることも必要でしょうが、逆に人から信用されること、頼られることも同じくらい必要です。ひいては社会も変わるかもしれません。
 文脈は違いますが、『旅行のススメ』という本の中で白幡洋三郎氏が「取るに足らないささやかな行動とも言える旅行が、実は社会を動かす大きな力を秘めている」と書いているのは、ここでも当てはまると思います。自分のためだけでなく、「誰になにを頼むか」と自問することを忘れないようにすることの重要性を強調しておきたいと思います。
社会に対する姿勢を考えること
家族の努力や犠牲だけでは解決できない問題が多いので、各地でPTSDのサポート団体が作られるようになりました。また、患者自身が参加する自助グループも活発に活動を行っています。(これの詳細はまた追ってUPいたします)
 こうした活動は、自分達にとって問題解決のための手段であると同時に、直接には自分の子供の援助活動ではなくとも、本人への力強い後ろ盾となりうるものです。家族が、自分が出来ることで、かつ自分がしたいと思う社会的活動を行うことは、病気に負けないために必要です。

 ただ、こうした活動は家族なら誰でもすぐできると言うものではありません。家族は、本人が治った時に就職などで不利になると考えたり、専門家が大丈夫といっても、遺伝などの問題で兄弟姉妹にまで累が及ぶのを心配し、外部には隠して治療しようとすることが少なくありません(これは患者自身が原因を言えない場合・または統合失調症に起こりやすい問題)。
 ある家族は、隣近所や親類に対して身内が精神・神経疾患に罹患したことを秘密にしていました。中には、近くの病院だと知り合いが居る可能性があるという理由でわざわざ遠くの病院を選んでいる人もいるようです。
 こうした家族の社会に対する態度は患者にも伝わることがあります。例えば、家族が隠そうとしてる患者は、自分も働いていないことを知られたくないと言って、買い物に行くのも我慢し、日中ずっと家に閉じこもっていました。
 精神疾患に対するまだまだ偏見に満ちた現状を考えると、ただ家族に勇気を出すよう励ますだけでは、家族のこのような態度は変わらないでしょう。社会の人々が精神障害についてもっと理解する必要があり、それは専門家の仕事であると思います。また、専門家は、出来るだけ家族の気持ちに配慮した援助体制を作る必要があります。
 例えば、保健所などでは、指名や居住地がわからなければ相談に乗らないのが一般的です。しかし、何故名乗らなければ相談できないのでしょうか。考えようによっては、名前を名乗れない人ほど相談の必要性が高いともいえるのです。
 家族が匿名で相談を行うことは、元は家族に出来るぎりぎりの社会的行為であるかもしれません。しかし、ひとたび自分が出来る社会的行動を起こすと、それが縁になって周囲から支えられ、だんだん行動の半径が広がっていくことが起こります。例えば、当事者の例ですが、Aさんは自分が映っているテレビ番組を見て、「私のしゃべり方は他の人が聞いたら解りにくいだろう、言語療法士について、少しでも自分の話し方を解りやすくするようにしたい」と述べるようになったそうです。家族の場合も、匿名の電話がきっかけとなって、徐々に他の人々の前で自己主張できるようになっていくかもしれません。
 くりかえしになりますが、専門家に出来ることは家族が社会的行動を起こさせるように環境を整えることであって、社会的行動を起こすように指図することではありません。やるかやらないか、何をやるかは家族が決めることです。ただ家族が意を決して行う時こそが、社会を変えるエネルギーが生まれる時なのです。
 病気にかかることが特別でないのと同じように、私が述べてきた五つの視点も、ことさら言うまでもないような当たり前の事です。ただ、当たり前の事が、実はもっとも実行に移しにくいものでもあることは、人生いたるところで経験されるのではないでしょうか。それで、人々はもしかしたらどこかに例外的状況に対処するための即効薬や特効薬の類があるのではないかと一度は期待するのです。
病気に負けない家族とは、こういう期待が現実的でないと知ったあとで、自分なりに工夫して状況を生きているあらゆる家族のことであると考えています。