他人とは、思考や感情の共通基盤を持たない人である、そのことを前提として、 感情的ではなくて、論理的かつ明確にものごとを述べるスキルが必要という 思考や感情の共通基盤を持たない人でも共有できるのは論理だからだ その集団は論理によって接着された集団になる 感情の共有ができるのはおまけであり偶然であるが 普通は、論理が接着されていれば、感情も接着されるものだろうと思う しかしそこまでの同調性を強要するのは行き過ぎだと アメリカでは考える 一方、日本では感情までの同調を前提とするし要求するのだろう もちろ

採録

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5歳刻みで「仕事をする、働く」ということに対する世代の価値観が少しずつ異なっていると思う。
会社の中には、バブル景気をおう歌した社員もいれば、就職氷河期の中でやっと就職し、不景気しか知らない社員もいる。多感な時期に東日本大震災を経験し、人生観に影響を受けた人もいる。世代間の意識のギャップは案外大きい。
 こうした意識のずれは昔から常にある問題だが、それぞれの社員が育った社会環境が「めまぐるしく変化」してきたため、そのずれがより大きくなってきている。
 自分たちの20代の頃を思い出しながら「自分はこういうふうに育ったな」という経験をもとに語ってはいけない。「自分と同じ年齢になれば同じように考えるようになる」と思ってもいけない。
米国はダイバーシティーを前提とした社会を構成している。個々人がどう考えているのか、一人ひとりが自分の口で言うことから始まる。
 そして、多様な意見をまとめ上げていくのが米国流のリーダーシップであったり、米国流のマネジメントであったりするのだと思う。振り返って日本のマネジメントは、これまで同質の価値観や同質の経験を暗黙の前提にしたものだったはずだ。
ダイバーシティーマネジメントの世界では、まず「何のためにそれが必要なのか」をお互いがしっかり理解しておかないとメンバーが腹落ちしない。腹落ちしなければ、期待する行動をしてくれない。
LINEなどのソーシャルメディアでは活発にコミュニケーションをするが、それはあくまでもテクノロジーを介したつながりであり、実は本当の人間関係づくりという点で経験が少し足りないのかもしれない。そういう前提でコミュニケーションを考える必要がある。
「各人がどういうふうに考え、それぞれの意見にどういう違いがあるか」をお互いに理解することだ。
ダイバーシティーマネジメントのためには、皆から話を引き出すことがとても大切だと思う。まずは、異なる意見をぶつけ合うことが必要で、そのための雰囲気づくりも欠かせない。
欧米と比べれば、日本では自分の意見を言う教育をあまりしていない。しかも、感情的ではなくて、論理的かつ明確にものごとを述べるスキルを学んでいない。それを前提とした上で、異なる意見をぶつけ合う場を作るには、リーダーのファシリテーションが大切になる。
異なる意見を言った人が損をする、嫌な気持ちになるような場を作ってはいけない。感情的にならないように、話の流れをリードすることも欠かせない。
 うまく話を引き出せれば、いろんな意見が出る。その結果として、異なる意見が出すぎて、結論を出すのが大変になるという面もある。うれしい悲鳴だが、そういう場面でもリーダーのファシリテーションが必要になる。
 これまで日本でファシリテーションが重要視されていなかったのは、言葉で意見を出し合ってディスカッションする雰囲気が足りなかったからだろう。ファシリテーションを「難しい」と感じる人も少なくないと思うが、ファシリテーションは「技術」なので、学べば誰でも身に付けられる。
ーーー以上採録

他人とは、思考や感情の共通基盤を持たない人である、そのことを前提として、
感情的ではなくて、論理的かつ明確にものごとを述べるスキルが必要という

思考や感情の共通基盤を持たない人でも共有できるのは論理だからだ

その集団は論理によって接着された集団になる
感情の共有ができるのはおまけであり偶然であるが
普通は、論理が接着されていれば、感情も接着されるものだろうと思う

しかしそこまでの同調性を強要するのは行き過ぎだと
アメリカでは考える

一方、日本では感情までの同調を前提とするし要求するのだろう
もちろんそれを拒否して、アウトロー的に存在している社員もいる
その人はコア社員にはなれないし特別な事情がなければ出世もしないだろう
また、自分が出世できないことを嘆きもしないだろう
自分が出世しないからくりは知っているし、仕方だからといって、
いまさら派閥に属して雑巾がけをするつもりもないだろう

能力はあっても出世はしない人である