無意識だったものが意識に上っただけで解決されるという精神分析的な考え

無意識だったものが意識に上っただけで解決されるという精神分析的な考え


原始仏教みたいな、原始精神分析だと思うが
無意識のものが意識に上ると葛藤なり両価性なりが解決されるというのはなぜなんだろう

スプリッピングの系列などあると思うが

自分が無意識のレベルに抑圧していた性的欲求を
意識して確認したときに
ヒステリーが治るとかは
コンフリクト、アンビバレントの解決の系列
確かに治りそうではある

スプリッティング(といっても、内容はいろいろなものを含んでいそうだけれど)は
たとえば人格障害のある種のタイプとか
場合によっては多重人格などを考えてもいいかもしれない

多重人格を統合していくという場合に
やはりはっきり意識するという操作が一部あると思うが
やはりそれで治ると思う

ーー
ハードディスクで例えると
ソフト一覧とかファイル一覧で見えない、たとえば隠しファイルなどが無意識に相当する
なんか変な動作をするなと思って調べてみると隠しファイルが悪さをしていたりする
aのファイルを開いたつもりだったのにbのファイルまで開いてしまったりする
だから隠しファイルをやめて表に出してファイル名も表示させれば
普通のファイルになる
ファイル同士の関係も分かるようになる

またたとえば
テキストファイルを開きたいだけなのに
ワードが起動してしまったりとか
それは関係付けが自動的に動いてしまうからだろう
関係付けを明確化すれば良いはずだ

ひどい場合にはワードが隠れてしまって
認識されないでいるとかも起こりそうだ
それも隠れているものに名前をつけて
ソフト一覧の中に表示すればいいわけだ

アンチウィルスソフトでスキャンするとかのイメージもいい

最初期精神分析の治療操作は
そんなことをしているのかもしれない

ーー
一方でドイツ精神医学本流は
ハードディスクスキャンとかそんな感じだと思う
電源部分が壊れているとか
マザーボードに故障があるとか

PCに故障があるという時
ソフト屋だけでもハード屋だけでも足りないのは当然だと思う

生物学がハード屋で
心理学がソフト屋になる

ーー
ここ何十年かの精神分析の流れとしては
一部は心理学・深層心理学・異常心理学の言葉を
脳科学の言葉に変換するものだった
これはとても分かりやすくて納得が行くものだ

たとえば退行は脳神経細胞の構造の中で
ジャクソニズムと脳の階層構造ということで何とも明快に説明ができて
生物学的な言葉で説明ができてしまう
実態のある概念ということになる

精神分析はさかのぼる学問なので
最初期の理屈としてはエディプス・コンプレックスが議論された
そのあたりを裏付けるために
赤ん坊の最初期の学習プロセスなどが大量のビデオで研究されている

ーー
ここまではいいのだけれど
そうなると
ソフトの言葉をハードで説明しているのではないかという疑惑が浮上する

それはカテゴリー・エラーというもので
やはり間違いだと思う

ーー
進化のプロセスで
最初はソフトの位置にあったものが
一部はハードの位置になっているのだと思うが判然としない