“ 最近、ある若い方が、「偉い人はなぜ議論の最初から多くの利害関係者を入れるのを嫌がるのだろう」という疑問を投げかけていました。何かの合意形成をする場合に、「議論が発散するといけないから」という理由で、まず少数の狭いグループの中で合意を作り、後から「これが合意だから」と言って他の利害関係者に説明する、ということをしていないか、という疑問です。皆さんの周りで、思い当たることが無いでしょうか? 本来、意思決定の場に多様な利害関係者が参加することは良いことであり、必要なことであるはずです。多くの異なる意見の中

最近、ある若い方が、「偉い人はなぜ議論の最初から多くの利害関係者を入れるのを嫌がるのだろう」という疑問を投げかけていました。何かの合意形成をする場合に、「議論が発散するといけないから」という理由で、まず少数の狭いグループの中で合意を作り、後から「これが合意だから」と言って他の利害関係者に説明する、ということをしていないか、という疑問です。皆さんの周りで、思い当たることが無いでしょうか?
本来、意思決定の場に多様な利害関係者が参加することは良いことであり、必要なことであるはずです。多くの異なる意見の中からより良いアイディアを導き出すことができますし、また、利害関係者が議論の最初から参加していることによって、結果に対する納得度も高くなるでしょう。議論で本来あるべき姿、すなわち「時には対立する異なる意見を取り入れながら、新しいアイディアを創り出していく」というプロセスに、私たちは残念ながら慣れていないようです。学校教育の場で、また家庭で、そのような訓練が不足していたのではないでしょうか。
知の鎖国