万葉集の恋の物語

こんな暑い日に万葉集の恋の物語などを読んでいる

なぜ彼らは和歌に残す必要などあったのだろう
不思議というか、おかしいと思う
なにか呪術的な意味でもあったものだろうか
このころは万葉仮名で無理矢理に大和言葉を漢字で書いていたので
中身は全く風俗的なものとしても
大陸の知的な態度を少し真似して
書いてみるということだろうか
そんなことをして何になるのかよく分からないが
国威発揚とかいっても中身がこんなモノではたいしたことはない
本格的な漢詩はまた別につくっていたのだろうがいまはあまり出回っていない感じがする
大伴旅人が太宰府の長官だったときに土地の女と思い出を作った
女は遊行女婦児島(うかれめこじま)という
こんなものを税金を使って残した
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有名な相聞
あしひきの 山のしづくに 妹(いも)待つと われ立ち濡れぬ 山のしづくに
大津皇子
吾(あ)を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを
石川郎女
あなたを待っていると、山のしづくに濡れてしまう
山のしづくに私はなりたいのに
というわけで
山のしづくに というフレーズが 何かのメロディ付きで 歌われていたものかもしれない
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現在ではなにかにつけてゴーストライターなどがついているものだけれど
地位の高い人達はゴーストライターをやとって
自分の恋愛を飾ったものかもしれない
フィクションを構成することで地位を高めたのだろう
そのようなことで地位が高まるという風習が不思議ではあるが
政治の世界で今は大臣となった人と
元巨人で現在日ハムの選手が
モナとかという女性を媒介にして世間に共通の人種として把握されているようなことがある
モナ男と言われていて区別するときには
政界のモナ男と球界のモナ男といわれる