徒然草第166段:人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。 ーーーーー 世俗の人々が忙しく動いている営み・仕事を見ていると、まるで春の日に雪仏を作って、そのために金銀・珠玉(宝石)の飾りつけをし、御堂を建立しようとしているかのようである。御堂が完成するのを待って、すぐに溶けてしまう雪仏を安置することなどできるのだろう

徒然草第166段:人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。
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世俗の人々が忙しく動いている営み・仕事を見ていると、まるで春の日に雪仏を作って、そのために金銀・珠玉(宝石)の飾りつけをし、御堂を建立しようとしているかのようである。御堂が完成するのを待って、すぐに溶けてしまう雪仏を安置することなどできるのだろうか。人の生命は長いと思っていても、下から消えていく生命は雪のような儚いものである。それなのに、一生懸命に働き続けて、(間もなく人は死んでしまうというのに)その成果を長く待っているような人が多い。
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そのチャレンジが尊いのだという感覚もあるのだが。
どうせまもなく死んでしまうのだが、それでも働き続けるのである。

たとえば、定年退職した後に、清々しい気分かといえば、そうでもない。なにか大きな欠落を感じる。
それが普通の感覚であろう。
早くに隠棲して出家し仏道に励むというのは、今で言えば、早期退職後、関係団体に天下りというような気分であろうか。
あくせくと本庁で出世を目指すよりも、気楽に天下りして、渡りで退職金をためて、ゴルフとカラオケと歴史研究でもしていた方がいい、そんな感じ。
志が低くないか、兼行さん。