“歴史を見ると、巨大な悪というのは必ず「善意」から始まっている。それは有史以来そうで、カエサルもそのことに言及していた。 「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった」 なぜか? それは、「善意」という後ろ盾があると、人間はエスカレートしやすいのだ。 それが悪いことだという後ろめたさがある時は、歯止めがかかるので、そこまでエスカレートすることはない。悪意というのは、もともと多くの歯止めがかかるように、社会システムそのものができている。 しかし善意には

“歴史を見ると、巨大な悪というのは必ず「善意」から始まっている。それは有史以来そうで、カエサルもそのことに言及していた。
「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によったものであった」
なぜか?
それは、「善意」という後ろ盾があると、人間はエスカレートしやすいのだ。
それが悪いことだという後ろめたさがある時は、歯止めがかかるので、そこまでエスカレートすることはない。悪意というのは、もともと多くの歯止めがかかるように、社会システムそのものができている。
しかし善意には、そういうストッパーがない。だから、一旦それが暴走を初め、しかも知らず知らずのうちに悪意に利用された時には、取り返しのつかない大惨事が引き起こされるのである。”