自閉傾向については、 『対人関係の障害(社会性の障害)・コミュニケーションの障害(言語機能の発達障害)・イマジネーションの障害(こだわり行動と興味の偏り、固執性)』 のウィングの三つ組が特徴とされることが多い。 学校教育の中でなぜかスルーされて 会社に入ってから困難に直面する (学校の先生は他のことで忙しいらしい) 対人関係の障害とコミュニケーションの障害は非常に密接である コミュニケーションの障害と言語機能の発達障害を()でくくって言い換えしているのもかなり怪しい こだわり行動と興味の偏り、固執性

自閉傾向については、
『対人関係の障害(社会性の障害)・コミュニケーションの障害(言語機能の発達障害)・イマジネーションの障害(こだわり行動と興味の偏り、固執性)』
のウィングの三つ組が特徴とされることが多い。
学校教育の中でなぜかスルーされて
会社に入ってから困難に直面する
(学校の先生は他のことで忙しいらしい)
対人関係の障害とコミュニケーションの障害は非常に密接である
コミュニケーションの障害と言語機能の発達障害を()でくくって言い換えしているのもかなり怪しい
こだわり行動と興味の偏り、固執性という言い方も、いかにも曖昧で、厳密なことを考える習慣のない方面の人達の言葉であることが分かる
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対人関係、コミュニケーション、イマジネーションの3つが最高度に発揮されるのは当然性交渉の場面である。
相手の立場に立つことができなくて、ひとりよがりで、固執性が強い人と性交渉したとして、ああ、この人はこうなのかと分かるだけで、そのあと関係を深めることが難しいだろうと思う。
しかし性交渉の目的が妊娠ならば、たぶん、問題なく妊娠して出産して、子育てをするだろう。
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自閉性障害を本人の特性と考えて、教育の対象とするのは賛成であるが、現時点で、対象範囲を大幅に広げて自閉性障害と考え、しかも医療の対象とすることは正当なのだろうかと疑問に思う。
正常からの偏位と、病気とは別のものだと一応考える。
身長でも体重でも、正規分布のようなもので描かれ、かなり極端な数値を示すものの中には病気の人がいる。
確かに高身長の一部は病気だけれど、正常遺伝子の偏位としての高身長の人もいて、それはあきらかに病気とは違う。
知能検査や発達検査で、部分部分の点数を出して、それぞれの点数の食い違い・ばらつきを問題にする。そのあたりを根拠にして診断材料とする。
その場合は、各部分の点数を示して、ディメンショナルな診断になるはずである。
そこでとどめるべきである。
しかし、ディメンショナルな数字の組み合わせの「よくある」パターンとしてTypeに分類できると考える傾向がある。しかしそれは正常偏位ではなく、病気による特徴だと認定されるときに、病気と認定されるはずである。
現状では、三つ組がそのようなTypicalなパターンとして提案されているのだが、実際には、診断者の経験や思想によって恣意的に決定されている。
実際、同じ言葉で、イメージしているものがかなり違うこともしばしはであり、実証精神の欠如した、イマジナリーな人々も肯定されて存在しているので、お互いの言葉が何を意味しているかを知るだけでもかなりの時間がかかる。そのような時間が経過しないうちに流行は移る。
「なぜなら、私の診察したあの人は発達障害で、その特徴はこうだったから、発達障害の人にはそのような傾向がある」などと、まったく筋の通らない話が出たりする。
もちろん、それ以上何を話しても時間の無駄なので、敵意はないことを表示して立ち去る。
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病院関係者は診断がどちらかと言えば保守的である。診療所関係者はその点では新しもの好きで、新しい動向や新しい宣伝によく反応している。
たとえば摂食障害というカテゴリーであるが、従来診断的に統合失調症、躁うつ病、うつ病、さまざまな性格障害などを除外してゆくと、純粋型摂食障害はかなり少数になってしまうとの印象がある。そして、摂食障害よりは、従来型の精神障害のほうが、治療の実績がある。
ここしばらくは、各種性格障害、うつ病、双極性障害、発達障害、なかでもアスペルガー障害などが、宣伝され流行となり、また、早くも流行から脱落している。
診断名とか診断作業とか状態像とか、もっとも厳密であるべきであった部分が、非常にIQの低い状態で放置されている。
DSM診断は、一見、病像のまとまりを知らない人でも、項目を当てはめていけば診断ができるように見えるが、実はその奥にある疾病の基本構造を想定している場合に、各項目の意味が解釈できる、という面もある。
それに反対する人たちは、そのような。背景に仮定されている基本病理の想定がなくても機能するのがDSMなのだと言いたいのだろうが、現場の話の食い違いを考えれば、DSMの試みは半ば破綻している。
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言葉が通じない、基本の思想が通じない、などは、医療、心理学、教育、司法、警察などの入り混じるところで発生している。
優れた出会いは、異文化による啓発が生じる。中井久夫が看護の本を書いている。しかしそうでない場合もある。
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特徴抽出の際にも問題がある。現実に学校や会社で問題になる要素を、心理テストでどのように客観的に測定できるかといえば、簡単ではない。そこのところを曖昧に何か別の数字で代用している。
何か抽出したとして、それが病気なのかどうか問題がある。たとえば、医療は病気と考える。心理は生育歴の問題と考える。教育は発達の途上と考える。
学校や会社で現実に問題になる要素を問題にするということは、実際は病気の話ではなくて、適応障害の話になるのだろう。環境側は変えるつもりはないので、病気として扱ってくださいという意図が見える。
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うつ病の精神療法として認知行動療法と対人関係療法が有効であると、うつ病学会のガイドラインに示されている。これはアメリカで、そのように書かれているからである。しかしアメリカでは、短期間に終結すると言い張っている治療法にだけ健康保険からお金を払うという仕組みになっているだけで、日本で現在行われつつある認知行動療法と対人関係療法が有効であるということの裏付けにはならない。アメリカの精神療法の歴史を見れば、それは科学の歴史ではなく、政治の歴史だということが分かる。
ここでは、治療法を示す言葉が、翻訳されているのだが、アメリカで施行されているものと日本で施行されているものが同一であるという保証はどこにもない。それなのに翻訳後ということで同じ意味を与え、同じ効果の期待を与えるのはかなりの間違いだろうと思う。
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このように、曖昧な言葉で、曖昧な議論をしている間に、子どもたち青年たちは困難に陥っている。
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発達障害と診断する前に、強迫性障害、社交不安障害、パニック障害、全般性不安障害、気分変調症、うつ病、躁うつ病、統合失調症、てんかん、性格障害、適応障害などを除外診断することが必要である。またさらにADHD、ADD、アスペルガー、PDD、ディスレクシア、LDなどを鑑別する。
精神医学の歴史は、てんかんが小児神経科に分離、認知症が神経内科系の認知症外来と認知症病棟に分離などが代表的で、
てんかんや認知症で、精神症状が特に強い人は精神科で関わりますという具合である。
アルコールが専門外来に分離、嗜癖専門外来が分離、性格障害専門外来が分離、そして最近では小児うつ、小児統合失調症、小児の発達問題などが分離して小児精神医学にという流れである。

不安系の病理は認知行動療法がよく効くのでそれで充分という印象はある。
それで不充分ならば、純粋形ではなくて、精神病要素が混入しているか、性格病理が強いものだろう。

残るのが、全般性不安障害、気分変調症、うつ病、躁うつ病、統合失調症、性格障害というような部分だろう。
まずこの領域の診断的な見逃しをなくすように慎重に対処したいものだ。
発達障害ではないかという報告を受けて、最初の印象として、まずコミュニケーションの障害が明らかにあるとして、
しかしそれでも、全般性不安障害、気分変調症、うつ病、躁うつ病、統合失調症、性格障害の全てについて、
可能性を除外しなければならないと思う。