物語の枠組みの変更

物語の枠組みの中での「正しい答え」
教養=リベラルアーツの、リベラルとは、さまざまな枠組みから自由になることである。
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物語の枠組みを理解し受け入れて
土俵が出来る
この上で物語が演じられる

ところが人によっては物語の枠組みを壊してしまう人がいる
それを自由といえば言えるのだが
集団生活をするときにはあまり有利な選択ではない 

枠組みを共有した上での物語の構築のほうが好まれる

枠組みを壊して行かないと物語が続けられないところまで来ているのが今の社会なのだろうが
そうなると
パーソナリティ障害のある特性を助長するような具合になることもある

そこを意図せずか意図してか、利用して、
パーソナリティ障害のある側面の特性を振り回すような場合も出てくる

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有名なのは国際スポーツの場合で、
日本などが優勝したりすると「国際委員会」はルールを変更して
日本人が続けて優勝したりしないようにしている

ひどいなあと思うが
ルールを制定する権利、つまり物語の枠組みを設定する権利が
誰の権利であるか、それが戦争で確定されて維持されている

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現実の生活で『枠組み制定権力』になるのは
かなり大変なことだし
いったんその権力を持ってしまったあとでは
その使い方について慎重でなければならない

誰も認めない『枠組み制定権力』を自分王国で行使して自分様になっている