“ 昔、ギャラリーをまわったり、ライブを聴きに行くのは、みんな「ぴあ」で、文字情報しか載らない小さな欄を端から端まで熟読して、どういう催しなのか想像力を働かせていました。タイトルが気になるから行ってみる、行ってがっかりというのもありますが、良かった事の方が沢山ありました。 今は、と言えばこれは紙もネットも似た様なもので、アートニュースといっても、ギャラリーや作家から出されるプレスリリースを適当にコピペした程度の中途半端な情報(基本的にお客様を誘導する様な、形の整った文言がならんでいる)ばかりが並んでいま

昔、ギャラリーをまわったり、ライブを聴きに行くのは、みんな「ぴあ」で、文字情報しか載らない小さな欄を端から端まで熟読して、どういう催しなのか想像力を働かせていました。タイトルが気になるから行ってみる、行ってがっかりというのもありますが、良かった事の方が沢山ありました。
今は、と言えばこれは紙もネットも似た様なもので、アートニュースといっても、ギャラリーや作家から出されるプレスリリースを適当にコピペした程度の中途半端な情報(基本的にお客様を誘導する様な、形の整った文言がならんでいる)ばかりが並んでいます。そうなると、記事の扱われ方の大小とは、取材によって得た印象よりも、既存のマーケットでの認知度の大小によって扱われ方が変わるわけです。それらを読んで、作品についてのうす~い情報をつなぎ合わせただけで、もう7割方作品を理解したつもりにでもなっているのか、ちょっと見てアッサリと帰って行く、次の会場へ急げ、みたいな雰囲気のお客様が増えている気がします。
知ったつもりでいるのと、きちんと読み込んで新たな知見を得ることは全然レベルの違うことです。情報が手に入りやすくなるのと引き換えに、自分で考え想像力を働かせたりする機会が明らかに減っています。あらゆる物事に対して何となく知ったつもりになって接してはいないだろうか。と、これは自分への戒めも含めてなんですが。いくつかの情報と想像力そして今までの経験を重ね合わせながら、検証し時には疑ったりして自分なりの言葉を探り出す。これってアート鑑賞だけでなくて、政治の事でも原発の問題でも何でも必要なはずなんですけど、様々なベクトルの情報が交錯しているから、無自覚に全てを受け入れていると自分の立ち位置を見失いがちです。
知ったかぶりは世渡りには便利かもしれないですけど、好きな写真やアートに触れる時くらい、そういうものは全て捨てて真っすぐな気持ちで画面に向き合いたいと思っています。