“ 武道を教えていて、なかなか上達しない人には共通性があります。 それは自分の身体が現に感じている「不快感」を感じないということです。 身体がねじれたり、こわばったり、ゆがんでいたりすることは「不快」であるべきなのですが、それが感知できない。 人間の身体は「不快を避け、快を求める」というのが本来的なありようです。 だから、例えば熱い鉄板に指先が触れたときに、ぼくたちはそこから飛び退りますね。 身体をじっと固定させておいて、指先だけ「ひょい」と動かすということはしません。 全身を使って飛び退るのと指先だけ

武道を教えていて、なかなか上達しない人には共通性があります。
それは自分の身体が現に感じている「不快感」を感じないということです。
身体がねじれたり、こわばったり、ゆがんでいたりすることは「不快」であるべきなのですが、それが感知できない。
人間の身体は「不快を避け、快を求める」というのが本来的なありようです。
だから、例えば熱い鉄板に指先が触れたときに、ぼくたちはそこから飛び退りますね。
身体をじっと固定させておいて、指先だけ「ひょい」と動かすということはしません。
全身を使って飛び退るのと指先だけ鉄板から離すのでは、要する時間はたぶんコンマ何秒しか違わないでしょう。けれども、「不快を避ける」身体の本性はこのコンマ何秒の差を有意なものとして感知します。
その感覚がとてもたいせつなのです。
その感覚をとぎすませてゆくと、身体は最短時間、最短距離、最少エネルギー消費での身体運用の動線を瞬間的に探り当てられるようになります。
それが武道的な意味で合理的な身体運用、すなわち最速、最強の身体運用です。
この理想の動線を探り当てるためにいちばん必要なのは「いやな感じ」を「いや」だと感じる感受性です。
というわけで逆説的なことに武道的には「どれほど俊敏に厳しく動いても、どこにも負荷がかからないので、結果的に少しも筋肉がつかない」ような身体運用が理想的とされるのです。
筋肉付けたい人に、反対のアドバイスでごめんなさい。
でも、筋肉つけるより、皮膚感覚を敏感にする方がずっと楽しいと思いますよ。