祈りがなくて

祈りがなくて生きて行くことが出来る人を
私は信じない
自らの現世の利益を願うのではなく
自らの魂の状態を問うための祈り
神への感性を失っていないかどうか問うための祈り
は不可欠ではないだろうか

カラマーゾフのアリョーシャの言うように
かつて私にも清く美しい感情に
魂の浄化を覚えた時があったのだと
いままた新鮮に思い出すための祈り

小さな祈りの人形の片われ(これは個人的な思い出である)が
いまも私のもとで祈る
いまもあなたへの想いを祈っている
美しい感情を再び生きるために

雨が屋根をたたいている
ばらも雨に濡れているだろうそしてあじさいも-
思い出はあの日にしかないが
 
浄化された感情はいままたよみがえる
ある時期よく聴いた音楽のように
感情がよみがえる

置き去りにしてきた小さな感情を
時が飾る
雨音がやさしく寄り添う
美しいものが美しいままであること
それもよいことなのだと
私の心を慰める

こうした小さなおもいを
折り重ねるようにして
心はひだをしまいこんでゆく
それが私というものの本体なのだ
そして
何かの拍子に私は言うかもしれない
人間とは美しいものだ
私は人間を愛している
人の心は小さいがしかし美しいものなのだ と
そのときは
私の心の小さなひだに宿る小さな思い出が
私にそういわせているのだ
そんな風に
思い出を あなたは
私につくる