ロシアのソチ・オリンピック 2014年2月

家に帰ると寂しいのでテレビをつける
2014年2月、この時期はロシアのソチ・オリンピックばかりである
アナウンサーと解説が二人で何か言っているが
原子力村の原発大丈夫宣伝と
佐村河内ゴーストライター事件をテレビ・マスコミが宣伝した件などを思い出す
オリンピック村の人々の頭のなかが透けて見える
利権の頂点に森先生や橋本聖子先生が君臨している
森先生はこれからまたパラリンピックに行くのかと思うと「暗い気持ち」なのだと発言してしまいまた批判されている
アスリート本人たちはそんなつもりはないだろうと思うのだが
テレビ番組の作りは国別対抗運動会みたいな感じ
みんな運動会の大ヒーローだったんだろうなあ
そして圧倒的にいじめる側だったんだろうなあ
すごいよ、こわい
これからもスポーツで食っていくぞという意気込みなのかな
解説も競技の素晴らしさを解説してくれればいいのに
画面に出ているタイムを復唱してみたり
(それくらいは分かるんだけどなあ)
「トリプル・アクセル! 」とか突然つぶやいてみたりする
速い速いとか、コースを外れましたとか
たいていは見れば分かることを言葉にしている
日本が勝ちましたとか、それだけ伝えればいいんだろうなあ
専門家なのだからもっと情報があると思うのだが
それは野暮なのだろう
ブロ野球の解説などでも「流れが変わりました」などと言っているのだから
オリンピック風定形解説なのたろう
しかしここで競技の魅力とか難しさを解説すれば
企業などが援助金を出してくれるかもしれないのに
ボブスレーなどはどんなコツがあるものなのか
どこが技術なのかとか知りたかった
4人乗りなんてどうしてあるんだろう
恐怖によるリミットをどこまで外せるかなんだろうけれども
なぜそんなことをしたいのだろう
スノーボードはどんな板が流行ですとか、企業は言って欲しいのだろう
各種スノーボード競技が急増したのはスポーツ用品会社の強力なプッシュがあったのだという
今日の状態だとワックスはこんな感じですとか教えて欲しい人も多いのではないか
スケートなどはかなりお金もかかるのだろう
早く有名になってアイスショーで稼ぎたいという話も聞く
でも『日本のために』次の大会まで続けて欲しいとか
遠征費用、照明係、音楽係、撮影係など
アマチュア・スポーツとはいえ、いろいろお金がかかる
女子ジャンプでは過剰と思われる報道
テレビに映るようにスキー板に印刷されている企業名をきちんと見せたりして
痛々しい
女子カーリングとかはいつもの人がいつものようにやっていて
なんだかなー、と思う
ゴーグルなどで顔が隠れてしまう競技と違い、顔がアップでずっと映っている
あの掛け声は性的絶頂に向かうときの声に似ている
女子フィギュアも、盛りだくさんの物語
盛りすぎ
失敗した選手に直後にインタビューしたりして、思いやりがない
男子フィギュアでは安部総理が「日本男子ここにあり」なんて言ったらしくて
これが「日本男子」の一つの像なのか、安倍氏は理解が広い
忠君愛国、牽強付会、そしてついには孤立無援
原発利権とオリンピック利権がパラレルに目に見えるようだ
もう降りられないんだよね、利権の構造から
ーー
解説と言っても、「すごい」「ものすごい」「感動した」「勇気をもらった」などを
組み合わせて反復するだけ
余計なことを言わないように、言っていい言葉が教えられているのだろう
どちらかと言えばアルペン競技が面白かった
スケートはオランダが異様な雰囲気だった
筋肉に酸素がなくなったのがよくわかった
女子フィギュアでは年齢が上がって骨格が大人になると
回転には不利なのかもしれない
リプニツカヤはドイツだったらライプニッツなんだろう

15歳のリプニツカヤ、「勝ち気」語録
(練習は)完ぺきに終えましたが
正直言って取材陣があまりにも邪魔でした。
キム・ヨナをどう思っているのかとの質問には「空白期間が長かったのでは。私は試合でキム・ヨナ選手の試合を直接見たことがない。最近出場した大会もすべてB級」
「今どき誰が正確にルッツを飛ぶの」
「一度もフィギュアに興味を持ったことはない。時間ができたら映画を鑑賞する」ほかの選手の試合なんか見ていない
SPでは後半のジャンプで転倒。演技を終えたリプニツカヤは「十分に準備し、緊張や圧迫もなく、観衆も私を助けてくれたのに、何が起きたのか分からない」と話した
「キム・ヨナ選手には、よろしくと伝えておいてください。これ以上、言うことはありません」
ーーー
わたしも感動しました、勇気をもらいました、よかったです、はい
オリンピックは佐村河内的感動でした

たとえば

「17歳から真似事のように作り始めて、12曲交響曲がありましたけど、それをなぜ捨てることになったかというと、耳が全く聞こえなくなって、内側からしか音を見出せなくなって、そのとき初めて自分流の、必然的に内側でしか生まれてこない作曲法を見つけたときに、これは自分にとって真実の音だろうと思ったんです。いままで作ってきたものは作為くさくてしょうがなくなって、それで破棄して、また1番から出直して、これ(『交響曲第1番』)を書き上げたんです」

「埴谷雄高の『死霊』とかは結構音楽にしています。ピアノ曲ですけど。美術よりは哲学ですね。バタイユとかヘーゲルあたりはかなり自分の中で消化されて音楽になっています」
「人が持っている苦しみというのは、その人にとっては代えるものがないほど苦しいもので、本当はみんな〈闇〉は持っている。闇に落ちて初めて小さな尊い光に気づくことってあると思います」
4歳で母親からのピアノの英才教育が始まり、10歳
でベートーヴェンやバッハを弾きこなして「もう教えることはない」と言われた。以後は作曲家を志望。中高生時代は楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。17歳で原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。高校卒業後は現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学んだ。
こういう作文が上手な人って
各界にいますね

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フィギアスケートの音楽は会場でマイクで拾っているのかな
いまどきの音質としては悪すぎないか
耳が聞こえなくなりそうだ

 
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キイラ・コルピ(フィンランド)・女子シングル