坐禅というのは人を傲慢にしますな

 以前、あちこちのお寺で参禅経験があるという初老の人と話をしていたら、彼がこんなことを言った。
「南さん、坐禅というのは人を傲慢にしますな」
 これはおかしいだろう。普通は、坐禅を続けていれば、「我がとれて傲慢でなくなっていく」という筋書きになるはずである。
 ところが、彼は逆だと言うのである。
「私 は最初、勉強だと思って、いろいろなお寺の坐禅会に参加していました。しかし、そのうち通うのをやめて、家で坐禅を続け、折に触れて知り合いのお坊さんに 直接指導してもらうようにしたのです。実を言うと、お寺の坐禅会もいいのですが、かなりの割合で、だんだん居心地が悪くなっていくのです」
 坐禅会の「居心地」とは何のことだろうと思っていると、
「そ れというのもですねえ、どの参禅会に行ってもたいてい、何というか、すでに五年十年坐ってます、みたいな『古株』の人がいるんです。お寺によってはこの人 たちが初心者の指導を任されているところさえあります。それはそれでよいのですが、どうかするとですね、彼らがときとして、初心者とか新参の者に対して、 なんとなく尊大な、横柄な感じになるんです。本人は気がついていないかもしれません。しかし、初心者や新参の者にはそう感じることが多いのです」
 彼は私の表情を伺うようにして、ニヤッと笑った。
「もうひとつイヤなのはですね、四十人、五十人くらいの大きい参禅会になると、住職や指導してくれる和尚さんをめぐって、派閥みたいなものができてくるんです。それで寵愛を競うみたいな。ね、イヤでしょう」