年金や生活保護などで定収入を得ている人は、円の価値が下がっても収入額が変わらないと考えられるため、購買力が落ちるだろう。特に政府がゼロ金利政策(ZIRP)を持続する場合は貯蓄に利子がつかないため、更に酷い結果を招く。 良識を持って貯金をしていた人たちは、インフレで貯蓄の価値が下がる。 貯蓄の価値が下がり続けることを恐れて、誰も貯蓄をしなくなる。貯蓄が使われるようになり消費は増える(これが政策の目玉だ)が、それも貯蓄が無くなるまでの短期間だけだろう。この現象を長期的に見た場合の欠点は、国債を買ったり実経済に

年金や生活保護などで定収入を得ている人は、円の価値が下がっても収入額が変わらないと考えられるため、購買力が落ちるだろう。特に政府がゼロ金利政策(ZIRP)を持続する場合は貯蓄に利子がつかないため、更に酷い結果を招く。
良識を持って貯金をしていた人たちは、インフレで貯蓄の価値が下がる。
貯蓄の価値が下がり続けることを恐れて、誰も貯蓄をしなくなる。貯蓄が使われるようになり消費は増える(これが政策の目玉だ)が、それも貯蓄が無くなるまでの短期間だけだろう。この現象を長期的に見た場合の欠点は、国債を買ったり実経済に投資したりするための貯蓄が減ってしまうということだ。このため政府はさらに増税せざるを得なくなる。
一方で食品や燃料の価格が上がるため、経済的に恵まれていない人が最も苦しむことになる。円安を反映して不動産価格も上がり、家賃も上がるだろう。家を買う余裕のない人々がダメージを受けるということになる。
すでに家を買った人は、資産価値が人為的に上昇させられた結果として固定資産税も上がることになる。
もちろん、給料も上がるだろう事は疑いない。特に公務員や組合に加入している企業ではそうだろう。だが増税と物価上昇で賃上げはほとんど無意味になる。
初期に消費が増えたことで利益を伸ばした軽率な企業は、景気が回復したと考えて間違った投資をしたり無駄遣いをしたりする可能性がある。
結局インフレは増税であり、一般家庭の収入をもっと吸い上げようとする政治家たちの企みなのだ。
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最大かつ最古の税は、今で言うインフレのことだ。政府はこの方法でずっと人々の財産を盗んできた。何百年間というだけではなく、何千年もの間にわたって。
ハイパーインフレによって、政府は公式な増税という面倒なことをなわなくても実際に貯蓄のすべてを奪うことができる。例えば1920年代のドイツのワイマール共和国では、政府が何に対してでも使えるように何千台もの印刷機で大量の紙幣を刷った。
殆どの場合はそこまで行なわれないが、もっとずっと低いインフレ率であっても、政府はこっそり多額の財を盗むことができる。例えば20世紀末の100ドル紙幣で買えるものは、1960年に20ドルで買えたものより少ない。1960年代に豚の貯金箱に1000ドルを貯めて、2000年にそれを使おうと思って豚を壊した場合、その1000ドルは40年の間に価値の8割を失ってしまっていることになる。
「富裕層」以外に対する増税はない、という政治的理論にもかかわらず、インフレへの移行によって政府に対する個人資産からの出資割合は増加することになる。しかも、インフレは富裕層からだけでなく貧困層からも同じだけの額を取っていく。
それだけではない。所得税は所得から政府に資産が移動するというものだが、何年もかけてためた貯蓄からは引かれない。しかしインフレなら、政府は所得からも貯蓄からも同じだけ切り取ることができる。
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富裕層と同じだけの割合を貧困層も差し出さなければならないというだけで十分ひどいが、政府が貧困層を食い物にし始めた時に奇怪にすら見えてくる。なぜそんなことになるかといえば、富裕層の方が貯蓄を不動産や金などインフレで価値が上がるものに変換しやすいからだ。生活保護を受けている母親には不動産も金も買えないし、貯金箱にコツコツためておくことしかできないが、貯金箱をどこに隠しても、インフレはその価値を盗んでいく。
インフレでは最良でも、一部の生産性のある人々によってもたらされる短期間の景気刺激にしかならない。より悪いことには、このようにインフレを強いる事は中長期的に意図しない深刻な事態を招きうるやけっぱちの行動なのだ。特に、社会保障制度や社会全体をこれまで以上に圧迫しかねない貧困層にとっては。
経済学者や政治家達は、状況はコントロールできるし、インフレは経済成長にとって最良の政策だと説得しようとするだろう。これだけ確証に満ちたことを言えるほどのことを政府は過去にしてきたのか、と自問自答してほしい。政府が何をするかを決めるのは、結局国民なのだから。

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こういうのっていつも、別の側面、逆の側面が提案されて、話がウヤムヤになるんだね。

古典物理学は初期条件が決まれば、結果が決定するけれど、
経済学は、理論から結果が出ても、更にそこに数々の介入があるものだから、いくらでもいいわけができることになる。
たいてい人々は儲けるために、原則に反したポジションを取ってチャンスを狙う。
制度があればその隙を狙う。理論があればその逆を狙う。
だから理論はいつも不確定なものにしかならない。