音楽と宗教と科学と普遍

バッハの音楽を聞いていると、やはりクラシック音楽はキリスト教と切り離せないのだろうと思う
バッハ以前は原始的音楽でバッハ以後は普遍的音楽と考えられる
それはキリスト教が普遍宗教で、それ以前の信仰はどれも土着的・地域的・原始的思考の所産であり
人間が真に論理的で普遍的で有効な思考をすれば一神教的な普遍宗教に至るのであり
それは人間の理性を前提とすれば進化の必然であるとも言える

しばらく前にも、そのような普遍思考へのカウンターとして土着的原始的なものを重視する動きはあったし、
普遍的・進化的な立場からすればどうしてもそれ以外は価値が一段下のものとして見られてしまうので
西洋白人主義的なものに対する反抗として
土着的・地域的・原始的思考と普遍的思考は少なくとも同一平面上にあり
科学の進歩と言っても、普遍的なものとはいえず、偶然の・地域的な・一時的な思考傾向の上にあるだけだとの言説もあった
しかし最近はそのような話もすっかり人々の興味の範囲外となっている印象がある

そんな中で、「現代のベートーベン」とNHKと音楽業界が持ち上げて大衆がそれに共鳴した動きがあった
結果としては、それを作曲したのは現代音楽の書き手であり、彼によると、ただのアルバイトであって、
それは誰にでもできる程度の手仕事であり、自分としては価値を認めていないとのことらしい

この現象は微妙にややこしくて
「現代のベートーベン」というからには、やはりバッハからベートーベン、ブラームスに至る流れが
一番偉いのだと信じている人達がいるということなのだろう
しかしそれは西洋的・普遍主義的・進化論的な価値観であって、
西洋白人でない日本人にとっては、それが今更ありがたいのか?と感じるところもある

また一方で、科学的思考がまったく民衆に根付いていないことがさらけ出された事件が
理研の騒動だったと思うが、自殺者が出て、一区切りになったようなところもあり、
その動きも、単にジャーナリズムであり、全く自然科学的でないところが見えているのだが、
結局のところ、日本人は論理的・普遍的・知性的・自然科学的な水準に達していないがために、
八百万の神とか現人神とか、普遍信仰以前の原始的思考形態にとどまり、
その顕現として、靖国があり、理研騒動があり、またたとえば早稲田博士号事件があり、と考えられる
ここの部分は、日本以外から見れば、たとえばキリスト教者がイスラム教者に対する違和感とは違う違和感を感じるところだろうと思う
日本という国は非常に科学的な麺があり唯物的なところがあり経済至上主義的なところがあるのに
一方で土着的で非論理的で科学否定的な面があり
宗教で言えば普遍宗教にたどり着くことなくいまだに、憑依現象に依存するような言説を持って宗教と考えているような人達がいる
これらのことを、自然科学は普遍的でもないし進化論的でもないとの主張とも考えられないし、
宗教はアニミズムと呪術から普遍宗教へと進化するのでもないと主張するとも考えられない
ただ何も深いことは考えていないだけなのではないかと思われてしまうだろう

ブラームスの一音一音には意味があるのだとして
楽譜を精密に読むような態度の根底には
クラシック音楽の背景にあるキリスト教の意味の体系があるのだし
それを無視して無邪気にアクロバティックな技巧を囃し立てるような態度は浅薄だとしか言いようがないのだが
しかし日本人は現代音楽よりはクラシック音楽が好きで
営業のためにクラシック音楽の路線で書くとCDがよく売れるというのである

このあべこべで、ちくはぐな現状はどのようにして出現したものなのだろう

その一例は現在の総理大臣の言動であって
立憲主義に対する意味不明の言辞、原発事故に対する事実を無視した公式発言、靖国神社に対する態度、
これらは外部からは理解し難いものであって、
反知性主義・反科学的・無原則・無倫理と見えてしまうだろうが
日本人はそれを許容している
またさらに副総理である人はナチスの例に習って我々も憲法を骨抜きにすればいいのだからあまり騒ぐなとか発言していて
しかし罷免されることもなく辞職するでもなく過ごしていて
日本人は一人一人は反理性的でもないし、自然科学を理解しているし、倫理も法律も宗教も理解していると思われるのに、
なぜ現在のような政治指導者が選出されているのか、そしてその言動を反省することがないのか、不可解と言われるだろう

一神教は論理的に間違っていると主張できるとか、
日本は神の国であるという言葉が何を意味しているのか、きちんと説明できるとか、
そのような積極的なこともなく、ただあいまいに現状維持しているだけである

解釈するとすれば無反省なコマーシャリズムが支配している国なのだと考えることだろうか
商売のためには論理も倫理も曲げてしまう

科学的・普遍的というのは実に強力で
たとえば算数で頭をひねるよりも、方程式を書いて、あとはそれを解くという方が強力である
方程式以前の思考も興味深いし大変よいひらめきの元になると思うが
やはり小学生と高校生程度の違いがあると思われる

小学生が算数なんか役に立たないから勉強しないよと語る様子も微笑ましい

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本を読めとは言うが
本を読んで、それを厳密に検証しなさいとは教えないし、
検証する方法も教えない

ただ本に書いてあるほどのことだから正しいのだとか
本を書くほどの人だから偉いのだとか
その程度らしい

議論をしても、そこでは論理があるのではなく人間関係があるだけで
気まずくしたくないからという配慮が優先される

日本の大企業がお金もあり人材もあり、なおかつ確実に沈没しつつあるのは
理由がある
今は一時的に政権をコントロールし日銀もコントロールできているので小康状態を保っていると見えるが
たぶんモルヒネの量を増やしているだけで
未来の展望は全く開けていないのだろうと思う
公務員も大企業社員も大して危機感はないのだろう
危機感はあるというだろうが、結果として変わらないのだから、本当の危機感はないと言わざるをえない

この局面でも、資本主義のルールというものがねじ曲げられていると思う
ケインズ主義的な公共事業とも思えない
無節操なバラマキ

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こんなにも拠り所のない世界を生きていて不全感はないのだろうか
これが無常感を生きるというものなのだろうか
むしろ無思想を生きるということなのだろうか

このあたりのことが理解が難しい
数学ならかなり難しい問題も解いてみせるのに
その知能に見合っただけの世界観や価値観が欠落している

振り込め詐欺のことはずいぶん前から問題になっていて
高齢者が次々に被害にあっていても
逮捕されるのは末端のアルバイトの現金運び人だけ
企画して指図している主犯者を何とかしようという雰囲気はない

子供のSNSの問題なども大きく取り上げられているのだが
困ったというだけで解決はない
一方でこの関係の商売は大いに栄えている

危険ドラッグという新しい言葉が採択されたが
指導されるのは末端の販売者だけ
もともとそんなものを作っている主犯者をどうにかしようという雰囲気は言葉になっていない

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たとえば
高齢者介護の場面では、いつ終わるとも分からない苦難の日々が続く、
明日好転する希望はなく、たぶん確実に今日よりも悪い事態が予想される、
そんな中で、どのようにして自分を支えたら良いのだろうか、そして
どのようにして、高齢者の心を支えたら良いのだろうかという、かなり根本的な問題に直面する

お祈りをするとしても、その習慣はない
宗教的思考がないとしても、無宗教者としての祈りとか、来世への思いとかはあるだろうから、
それを言葉にして交流できればいいのだが、そのようなこともない
宗教といえば、いきなり原始的な・魔術的・呪術的・お金まみれ・現世利益の世界になってしまう、おかしな日本
文部科学大臣が主張を本にしたかったら、普通の出版社から出せばいいと思うのだが、なぜ新興宗教の出版部から出すのだろう
私のような年寄りには理解できない

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漫画は褒められるし、バイオリンコンテストでは優秀、バレエコンクールでは良い成績、
しかし彼らが食べているのは何か、信じているのは何か、人間としての芯は何か、
そう思うと、13歳の子供がトランポリンで無邪気に曲芸しているとも見える
その心にはほとんどなにもない
健全な食料を健全に流通させるとかそんな基本的なことがすでに破壊されていることに心を傷めないのだろうか
2014-09-01 04:11