ヴィラヤヌル・ラマチャンドランの「心について」

http://www.ted.com/talks/vilayanur_ramachandran_on_your_mind.html

カプグラの妄想についての解説はすばらしい

ファイトム・リムについての話はこの人の得意の話

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共通感覚についての話も出ている

黄色い声 とか

これは脳の部分で本来つながりのない部分が連絡しあっているから起きる現象であり
芸術関係の人でこの傾向が強いのは
メタファーを形成する能力が強いことと関係しているのではないかとの話が紹介されている

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言葉に色がついているとか
特定の数字には特定の色がついているとかの人もある

詩人の中には
言葉に色がついているので、詩の言葉を並べるときに「配色」を気にする人もいるのだそうだ

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ここから先はまた不確かな話であるが
何か感覚の「原基」のようなものがあると考えて、
それが聴覚領域に結合すれば音として感覚され、
視覚領域に結合すれば形や色彩として感覚される、
思考領域に結合すれば何かの観念として「考える」、
そのような状況があるのではないかと思う
(普通は感覚は外部からやってくるのであるが、内部からの信号を考える
典型的な例はてんかん発作である。
また偏頭痛で「幾何学図形」を知覚するのもその一種だと思う。)

外部からやってきた信号、たとえば「音」がいったん聴覚系に連絡されるが、
同時に視覚系にも連絡されていると、それはたとえば「色」としても感覚される

この経路についてもいくつも考えられる

音 → 聴覚 → 視覚

が標準的だと思うが

音 →聴覚
  →視覚
というダイレクトな結合でもいい感じがする

音 → 原基 → 聴覚
         → 視覚

という具合でもいい

あるいは
音 → 聴覚 → 原基 → 視覚
という経路も考えられる

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和歌を考えると
当然第一には「意味」であり、音読するときは「音」であり、筆で書くときは「形」である

歌の中には「意味」のない音だけの楽しみの部分も多い

人によってはさらに「色」を感覚し
またたとえば身体的感覚を伴っている場合もあるのだろうと思う

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歌・音楽に合わせて踊るなどという場合も
聴覚領域と身体感覚の共通感覚の現象なのだろう

大抵の人は自然にシンクロするのだが
なかには自然にできない人がいるので
やはり脳の別の場所の機能で、人によってはつながっていないということなのだろう

普通のつながりに乏しい人は
普通ではない特異なつながりがある人がいるのだろうと思う
それが商売になれば有利、という世の中である