「終の棲家」がない「待機老人」が急増していく

「終の棲家」がない「待機老人」が急増していく下向きの人口動態がもたらす悲惨な未来2015年6月30日
 筆者が「下向きの人口動態」と呼んでいる日本の人口減・少子高齢化に関する厳しい現実を伝える報道が、このところ目立っている。
 少子化の関連では、厚生労働省が6月5日に発表した2014年の人口動態統計で、合計特殊出生率が1.42となり、9年ぶりに低下した。1971~74年生まれの「団塊ジュニア」世代による出産がピークを越えたためとみられる。出生数から死亡数を差し引いた人口の自然減はマイナス26万9488人で、マイナス幅は過去最大になった。
 子どもが減り続ける一方で、高齢者は増え続けており、人口に占める高齢者の比率は高くなり続ける見通しである<図>。
 筆者も最近知ったのだが、実は「待機児童」よりも「待機老人」の方が、はるかに数は多い。インターネット上のあるコラムでは厚生労働省の定義は狭すぎるとして「待機老人」に関するかなり多い推計値が示されていたが、あえて定義し直すまでもなく、両者の大小は明らかである。
 厚生労働省の公式計数を見ると、「保育所入所待機児童数」は、自治体ごとに保育所入所手続きが異なるため参考値として集計している10月1日現在の数字で、2014年が4万3184人(前年同期比マイナス934人)となっている。なお、全国的な待機児童数の動向を厚生労働省が把握している4月1日現在の数字では、2014年は2万1371人である。
 一方、厚生労働省発表の「特別養護老人ホームの入所申込者の状況」によると、特別養護老人ホーム(特養)の入所申込者数は、2014年3月の集計(各都道府県で把握している状況を集計したものであり調査時点は都道府県によって異なる)で、52万3584人となっている(当初52.2万人と報じられたが一部の都道府県の報告に誤りがあったため訂正された)。
待機児童よりはるかに多い待機老人
 介護保険法が改正され、2015年4月からは原則として「要介護3」以上の人だけが特養に入所できることになった。上記はそれよりも前の時点で行われた集計だが、要介護3~5の合計だけでも34万5233人となっており、待機児童よりもはるかに多い。
 先日、高校の恩師の傘寿(80歳)祝いを兼ねたクラス会があり、筆者も出席して昔の仲間といろいろ語り合った。その中で子育ての苦労話以上に頻繁に出てきたのが、親の介護問題である。ある友人の親はまさに「待機老人」なのだが、希望する施設から「たぶん4年くらい待つことになる」と言われたという。
 事実上は「終の棲家(ついのすみか)」とみなされている特養の場合、空きが出るのはほとんどが亡くなるケースだと考えられる。そこに入るのに他の人が亡くなるまで順番待ちになるとは…。この話を聞いて、みな絶句してしまった。
 そうした中、世の中で大きな関心を集めているのが、有識者らでつくる民間研究機関である日本創世会議(座長:増田寛也元総務相)が6月4日に公表した「東京圏高齢化危機回避戦略」である。
 東京圏では今後、急速に高齢化が進み、75歳以上の後期高齢者は今後10年で175万人増加すると見込まれる(全国の3分の1を占める)。2025年には東京圏の介護需要は大幅に増加。東京都で38%増、埼玉県で52%増、千葉県で50%増、神奈川県で48%増となる見込みである。
 このため東京圏全体で介護施設の不足が深刻化して、高齢者が奪い合う事態になるという。「東京圏の高齢者の地方移住環境の整備」(医療・介護の受け入れ余力がある地方への引っ越し)を含む対応策を今から議論して実行していく必要があり、2020年の「東京オリンピック・パラリンピック後では間に合わない」というのである。
東京圏でのインフラ整備は間に合わない
 だが、縁もゆかりもない土地に引っ越して特養などに後期高齢者が入所するというのは、現実問題として、かなりハードルが高い話である。家族が時々様子を見に行ける距離ならまだよいが、東京圏からたとえば秋田県への移動となると、そうは行かないだろう。クラス会での議論では、否定的な意見が多かった。
 かといって、東京圏で高齢者向けのインフラ整備が間に合うかというと、設備と人員の双方で、まず無理だろう(東京五輪関連のインフラ整備が優先されやすい雰囲気だということもある)。深刻なジレンマである。
 東京五輪の関連では、最近はほとんど話題にならないが、非常に重要な予測が一つある。開催年である2020年に東京都の人口が1335万人程度でピークをつけて、翌年から減少していく、しかも急ピッチで高齢化が進行すると、東京都が予測しているのである。
 都の人口は2060年までに300万人ほど減少する。
 世帯数は2025年までは増加傾向が続くものの、その後は減少傾向になるので、住宅投資も減りやすくなる。他方、65歳以上の高齢者の比率は2020年の20%から、2060年には39.1%にほぼ倍増する。街の様相や社会の雰囲気はかなり違ってくるだろう。東京五輪というお祭りは「最後の盛り上がり」になってしまうのかもしれない。
 話を高齢化に戻すと、認知症の高齢者が着実に増えているという問題も最近注目を集めている。ふらりと家を出て行方不明になる高齢者の話が報道されることが珍しくなくなった。人間は年をとると知力や体力が衰えていき「子どもに戻る」と言われることがあるが、まさに高齢者の「迷子」である。
 先日、筆者の父親がリハビリのため入所している介護老人保健施設(老健)を訪れた。3階で食事やリハビリ体操などをしている様子を見た後、エレベーターで下に降りようとボタンを押したところ、まったく反応がない。
 下に降りる階段も見当たらない。フロアをしばらくさまよった後で、面会を申し込む際に入り口で「帰る時は介護士など担当者に声をかけてください」と言われたのを思い出した。入所者が勝手に外出していなくならないよう、しっかりガードがかけられているわけである。こうした世界に接する経験がほとんどなかった筆者には大きな驚きだった。
 認知症とまではいかなくても、高齢ドライバーの認知能力や判断能力が低下していることを痛感する場面に街で出くわすことも増えてきた。
認知症が疑われる人も日々運転
 例えば、信号無視である。高齢の男性が運転している軽自動車が、横断歩道を渡る歩行者がいないのを見て、赤信号でもそのまま直進する光景を2度見かけた。自転車を運転している感覚なのだろうか(むろん自転車の場合でも信号無視は道路交通法違反だが)。
 一番ひどいと思ったのは、住宅街にある見通しが悪い交差点での衝突事故である。この時は、若い女性が運転している軽自動車の左後ろに高齢の男性が運転する小型乗用車がぶつかり、軽自動車はかなり派手にへこんだのだが、驚いたことに、この高齢男性は車のエンジンをかけ直して、そのまま走り去ってしまった。
 国立長寿医療研究センターの調査によると、検査して認知症が疑われるレベルに相当した男性の61%が自動車の運転を続けているという。
 75歳以上のドライバーを対象に認知機能チェックを強化することが柱となっている改正道路交通法が、6月11日の衆議院本会議で可決成立した。2年以内に施行される。道路交通法は認知症の人に運転免許を認めておらず、75歳以上の運転免許更新者には記憶力や判断力を数値化する認知機能検査を義務化している。
 だが、これでは検査を受けるのが3年に一度だけで不十分だという判断から、認知機能が低下した人に多く見られる特定の交通違反をした際にも免許更新時と同じ検査を実施するなど、チェック体制を強化することになった。
 検査で「認知症の恐れ」と判定された全員に医師による診断を義務付け、発症していれば免許の停止か取り消しになる。
 厚生労働省が1月7日に発表した推計によると、団塊の世代が75歳以上になる2025年には認知症の高齢者は675万人となる(別の推計によると2012年時点の認知症高齢者は462万人)。認知症発症に影響を与える糖尿病の有病率が増えた場合は730万人に達するという。65歳以上の5人に1人という多さである。
介護給付費は増加の一途
 そして、介護給付費は増加の一途である。厚生労働省が6月5日に発表した2013年度の介護保険事業状況報告によると、要介護(要支援)認定者は13年度末現在で583万8000人。65歳以上の17.8%を占める。介護サービスの利用者負担(1割)を除いた給付費は8兆5121億円(前年度比+4.7%)。利用者負担も含めると9兆1734億円という巨額になった。今後も増加しつづける可能性が高い。
 急速に進む高齢化は日本経済にとって、さまざまな側面から大きな負担になる。「東京五輪が起爆剤になって日本経済が新たな成長ステージに入る」といったバラ色のストーリーとはまったく異なる深刻な現実が日本でいま着実に広がっていることは、日本人のみならず、海外の投資家なども知っておくべきことではないだろうか。
2015-06-30 07:29