二人の若い大学生が、いっぱしのサラリーマンのかたちをして

“二人の若い大学生が、いっぱしのサラリーマンのかたちをして、ぴかぴかするアンドロイドのスマートフォンを持って、都心からは少し離れた、低中層のオフィスビルがぽつぽつとあるエリアを、こんなことをいいながら、あるいておりました。「ぜんたい、ここらの企業はけしからんね。ろくに求人もしていやがらん。なんでも構わないから、早くトントンと、面接をすすめていきたいもんだなあ。」
「グループ討論で、アホウなFランクの学生のバカなセリフなんぞを、ちょっと気の利いたセリフで論破したら、ずいぶん痛快だろうねえ。顔を真っ赤にして、しどろもどろになって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」
二人がそれぞれ持っていたスマートフォンが、二つともいっしょにフリーズを起こしたかと思うと、しばらくたって、ぶちっと電源が切れてしまいました。
「じつにぼくは、二万四千円の損害だ」と一人の学生が、そのスマートフォンの電源をさわりながらいいました。
「ぼくは二万八千円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげていいました。
はじめの学生は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの学生の、顔つきを見ながら云いました。
「ぼくはもう戻ろうとおもう。」
「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻ろうとおもう。」
「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、ネットカフェで、リクナビでプレエントリーを十社もしておけばいい。」
「マイナビもでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」
ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなくなっていました。
風がどうと吹いてきて、道路標識はがたがた、街路樹はかさかさ、立て看板はごとんごとんと鳴りました。
「どうも満たされたない気がする。さっきから心が満たされなくてたまらないんだ。」
「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何か内定がほしいなあ。」
「ほしいもんだなあ。」
二人の大学生は、ざわざわ鳴るビル街の中で、こんなことをいいました。
その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒のビルがありました。
そして玄関には
RECRUITMENT採用募集中WILDCAT Inc.山猫株式会社
という札がでていました。
「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか採用してるんだ。はいろうじゃないか。」
「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か採用面接ができるんだろう。」
「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか。」
「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か内定がほしくて倒れそうなんだ。」
二人は玄関ホールに立ちました。玄関ホールは吹き抜けで照明も明るく、実に立派なもんです。
そしてホールの真ん中に標識がたって、そこにカラープリンタで印刷した字でこう書いてありました。
「エントリーシートは不要! わが社はどなたとでも面接します! 学歴や点数にこだわりません! どうか面接にきてください! 決してご遠慮無用です!」
二人はそこで、ひどくよろこんでいいました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、ここのところなんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。この会社は手ぶらでも面接してくれるんだぜ。」
「どうもそうらしい。決してご遠慮無用ですというのはその意味だ。」
二人は玄関ホールの奥の戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になっていました。そこにあった掲示はこうなっていました。
「ことにコミュニケーションスキルの高いお方や若いお方は、大歓迎いたします」
二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。
「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」
「ぼくらは両方兼ねてるから」
ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。
「どうも変な会社だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」
「これはシリコンバレー式だ。新しいIT企業はみんなこうさ。」
そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。
「当社は採用の多い企業ですからどうかそこはご承知ください」
「なかなか採用しているんだ。こんなところで。」
「それあそうだ。ちゃんとした企業は不況でも人材確保につとめるもんだ。」
二人はいいながら、その扉をあけました。するとその裏側に、
「採用はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」
「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの学生が顔をしかめました。
「うん、これはきっと採用があまり多くて面接が手間取るけれどもごめん下さいとこういうことだ。」
「そうだろう。早くどこかへやの中にはいりたいもんだな。」
「そして面接のテーブルに座りたいもんだな。」
ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに棚があって、そこには同じ本が何冊も置いてあったのです。
扉には赤い字で、
「面接にこられた方は、ここで社長の書いた経営論の本を読んでください。」
と書いてありました。
「これはどうももっともだ。経営者の考え方をしらないと社員としてもこまるからな」
「だいぶしっかりしている会社だ。きっと社員はみんな夢にむかってがんばっているんだ。」
そこで二人は、その経営論の本をじっくりと読みました。
そしたら、どうです。経営に役立ちそうなことは何も書いてありませんが、社長のかっこいい武勇伝ばかりが書いてあって、そいつを読むだけで頭がぼうっとかすんでいくようでした。読み終えると、風がどうっと室の中に入ってきました。
二人はびっくりして、互によりそって、扉をがたんと開けて、次のへやへ入って行きました。早く何か面接でもして、自信をつけて置かないと、もう途方もないことになってしまうと、二人とも思ったのでした。
扉の内側に、また変なことが書いてありました。
「どうか社訓を大きな声で朗読して下さい。」
「どうだ、読むか。」
「仕方ない、読もう。たしかに社訓をちゃんと覚える必要があるんだ。内定を得るためには。」
二人は廊下の壁のいたるところに貼ってある十箇条の社訓をこれでもかというほど大きな声で読み上げました。
また黒い扉がありました。
「会社のために一生懸命働きましょう。やる気を出せばできないことなどありません。」
「そうだ。さっきの本で社長がいっていたとおりだ。」
「そうだそうだ。できないことなどあってたまるか。」
扉の裏側には、
「我が社は能力主義です。努力は絶対に報われます。」
と書いてありました。
「なるほど、真面目に働いていないやつに給料をやるという法はない。」
「いや、よほどみんな真面目に働いているんだ。」
二人はしきりに感心しました。
すこし行きますとまた扉があって、その前に泣き崩れている女性社員が一人いました。扉にはこう書いてありました。
「この女は給料泥棒です。自分の無能さを棚に上げて労基に通報しようとしました。どうかみなでこの女をまっとうにしてください。」
「まっとうにしてくださいというのはどういうんだ。」
「これはね、きっとこの女が会社の方針を理解していないんだ。大きな声で怒鳴りつけてやろう。」
「そういうのはパワハラというのではないのかい。」
「なに、これはパワハラにはあたらんさ、指導だからな。愛の鞭というやつだよ。」
二人は口々に社員の無能ぶりをののしり、その社員に反省書を書かせ、さらに社訓を千回いわせました。それでも二人のストレスはまだ残っていましたから、おまけでこの生気のない社員をけりとばしました。
それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、
「この男は職場放棄をしたバカ社員です。伯父の葬式があるといって会社をさぼりました。どうかみなでこの男をまっとうにしてください。」
と書いてあって、泣き崩れている社員がここにもいました。
「そうそう、こんなふうにプライベートが大事だといって仕事を真面目にしないバカがいるよね。そんなやつがいると会社が滅んでしまう。ここの会社はじつに仕事を真剣に考えているね。」
「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か内定がほしいんだが、どうもこうどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」
するとすぐその前に次の戸がありました。
「内定はもうすぐでます。十五分とお待たせはいたしません。すぐ働けます。その前にそこに置いてある紙をシュレッダーにかけておいてください。」
そして戸の前にはたくさんの紙とシュレッダーが置いてありました。
二人は紙をシュレッダーにかけはじめました。
ところがどの紙にも、「辞表」とか「退職願」という字が書いてありました。
「この紙はなんで同じような字ばかり書いてあるんだろう。どうしたんだろう。」
「まちがえたんだ。きっとどこかのバカがコピー機の枚数の設定をまちがえたんだろう。」
二人は扉をあけて中にはいりました。
扉の裏側には、大きな字でこう書いてありました。
「いろいろ要望が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか絶対に我が社で働くとの誓約書を書いてください。」
なるほど印刷された誓約書と字を書くための机は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしておたがいに顔を見合せました。
「どうもおかしいぜ。」
「ぼくもおかしいとおもう。」
「たくさんの採用というのは、どんどん社員が辞めるから採用してるんだよ。」
「だからさ、ちゃんとした企業というのは、ぼくの考えるところでは、ちゃんとした企業は、社員を使い捨てにするのではなくて、しっかりと育てていくものなんだ。だけど、社員がどんどん辞めて、新しい人間をどんどん採用するということは、これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものがいえませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。
「ブラックきぎょ……。」がたがたしながら一人の学生はうしろの戸を押そうとしましたが、どうです、戸はもう一分も動きませんでした。
奥の方にはまだ一枚扉があって、
「いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあ我が社におはいりください。」
と書いてありました。おまけに戸の中からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこっちをのぞいています。
「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
ふたりは泣き出しました。
すると戸の中では、こそこそこんなことをいっています。
「だめだよ。もう気がついたよ。誓約書にサインしないようだよ。」
「あたりまえさ。書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ要望が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」
「どっちでもいいよ。どうせあいつらも、すぐに使いすてにするんだ。」
「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」
「呼ぼうか、呼ぼう。おい、学生さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。勤務地も用意してありますし、制服ももう準備しておきました。あとはあなたがたを働かせるだけです。はやくいらっしゃい。」
「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。アットホームで暖かい職場ですよ。それに自分の夢をかなえられる場所ですよ。ノルマはありませんから、とにかくはやくいらっしゃい。」
二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。
中ではふっふっとわらってまた叫んでいます。
「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角の仕事もできないじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」
「早くいらっしゃい。社員みんなが、お二人のご活躍を待っています。」
二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。”