思い屈しているとき

思い屈しているときに
音楽が慰めてくれる
いつもそうだったしいまもそうだ

元々冷え性であるが
老年になるとますます冷える
そんなときに気密性の高いマンションはありがたい
床暖房で暖かくして
漢方薬をお湯に溶いてすこしずつ飲んで暖かくしている

これから後の人生でやりたいことは何だろうかと考える
電子回路の設計とか
プログラミングとか
ぼんやり思う

生きることの本体はすでに終わったように思う
これから先はこの延長だろうし
しかも縮小型の再生だろうと思う

同じエピソードも年をとるに従って解釈が異なってくるだろうとは思う
しかし
私が何をどう解釈してもいまさらどうでもよいだろうというのが
実際の感想でそれ以上はない
それでは元も子もないし
勉強していればそれなりに一歩でも半歩でも進歩があるのだから
諦めることでもないだろうとは思う
2012年の老人は何を思ったのか
100年後くらいに興味を持ってくれる人がいるかも知れない
しかし1000年後は大いに怪しいし1万年後だとさらにあやしい
10万年とか100万年と考えると
現在を生きていることの意味づけもかなり違ってくると思う

多少は多層的で重層的、多面的な見方も出来るものかと思うが
それもあくまで自分の内部での多少の進歩であり極めて些少のものである
世界を広く時代を広く見てみると
現在の自分など極めて限定された存在で
しかも日常で直面する不愉快さなどはあまりに
みじめで湿っぽくてちっぽけで平板で皮相的で
なかったことにしてしまいたいが
現実を生きている限り
なかなか抽象的な次元には生きられない

しかしながらそんな中でも
私を個人的に支えてくれる人はいるし
力をくれる人もいるので
気分をとりなおしていこうと思う
ありがたい事だと思うし
だからこそ、今度は私が少しでも力になろうと思う

1万年後のことを考えたりするのが好きだったけれど
いまは私を支えてくれる人を支え返したいという気持ちのほうが強い
その面では抽象的な思考ではなく
現実的な身近な感情を考慮するようになっている

自分は自分を支えてくれる人たちの総和であるとも思える
そして昔の人が残してくれた書物の力はやはり大きい
いまの人々にも昔の人々にも感謝している