「じゃあ、実験で確認しましょう」

重いものを遠くまで早く運びますというのは
筋肉をたくさん持った男性の領域であったが
自動車やクレーンに取って替わられた
糸紡ぎとか編み物とかの仕事やお料理の仕事は昔から女性の領域であったが今では機械化されて製品を買うだけになっている
計算したり覚えたりの仕事はコンピュータが大幅に取って替わっている
給与計算や税金計算ができなくてもとりあえずセルにデータを入れればあとは自動計算してくれて印刷まで終わってくれる
筋肉は機械に、脳はコンピュータに
人間に残されたのは他人の感情をコントロールする技術、そして
自分を大きくまたは美しく見せるという捏造の意志だけではないだろうか
プレゼンテーションの仕方と言うのだが
正しいことならぶっきらぼうでいいし
それで多少損をしてもいいじゃないかと思うが
現実の世の中ではそうも行かないということなのだろうか
自然科学も成果を求められる職業になっていて
成果を示すために多少飾ることも普通だとしたら
飾らない人は損をすることになってしまう
欲しい結論があって、そのためのデータが欲しくて、それを捏造するというプロセスを代行してくれるコンピュータならば、役に立つというべきか、役に立たないというべきか
多分、理研では役に立ち、一般世間では役に立たない
ライセンスとか肩書がほしいのも
嘘がつきやすいからではないだろうか
取り巻きがたくさんいて崇拝されている状況も
新しい取り巻きを増やす作戦のひとつなのだろう
自然科学のいいところは、口先三寸のお調子者がいても、「じゃあ、実験で確認しましょう」といえるところだ。
最近ではその実験が複雑になり、個人のテクニックに依存するようになり、あの人がやるとできるけれども、他の人ではできないということもあるらしい。しかしそれはまだ謎の領域であって、自然科学の領域ではないと昔は考えられていた。それは魔術であり錬金術である。
それを騒ぎ回るのは各方面の「利益」が絡んでいるからだが、秘密実験だから言えないという記者会見なら会見の意味がない。むしろ、秘密実験をしていることを公言してしまっていいものなのだろうか。もう秘密ではなくなったわけだ。