想像の中でAさんと話している「私」は誰なのだろう

たとえば私がAさんという人と話をしたり
仕事をしたりスポーツをしたりして
Aさんという人の印象を心の中に形成する

そして、もしAさんにこう話したら、Aさんはこう答えるだろうな 
というような予想を巡らすようになる

そのような私の心のなかのAさんとかBさんとかがたくさん心の中にできる
月というものを眺めたり富士山に登ってみたりして月とか富士山とかの印象が形成される
それが社会であり世界ということになる

私はAさんのすべてを体験しているわけではないので
必要だけれども知らない部分は
想像で補うことになる
それは点を結んで線にするようなもので
補い方には個人差が出るだろう
そのようにして現実のAさんとはすこしずれたAさんが心の中に形成される

Aさんの部分からAさんの全体を推定している

さて、
私はAさんと話す場面を想像するのだけれど
相手は心の中のAさんである
私は誰なのだろう

私は私の心の中の小さな私なのだろうか 
それとも私の心を形成している全体としての私なのだろうか
あるいはさらに私の心全体よりも大きな私なのだろうか

想像の中でAさんと話している「私」は誰なのだろう

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私も私の部分から私の全体を推定しているのだろうか
それとも私は私の全体を知っているのだろうか

当然前者のはずである

そうすると小さな私と小さなAさんが話をしている様子を想像していて
その全体を眺めているのが大きな私ということになる 

そして大きな私と小さな私はつながっているはずなのだ