“私たちは普通、メディアは「ニュースを伝達してくれる装置」だと考えている。しかし、実際にはメディアは「情報を過剰に伝えないための装置」である。正確にいえば、情報を選別し、「不必要な」ニュースを排除するために報道機関は存在している。たとえば、新聞の場合、通信社や各支局から日々膨大なニュースが送られてくるが、実際に紙面に掲載されるニュースはその一部に過ぎない。つまり、新聞編集の過程とは、多くのニュースをボツにする作業からなる。同じことは、新聞社から提供されたニュースがテレビで報道される際にも繰り返される。”

“私たちは普通、メディアは「ニュースを伝達してくれる装置」だと考えている。しかし、実際にはメディアは「情報を過剰に伝えないための装置」である。正確にいえば、情報を選別し、「不必要な」ニュースを排除するために報道機関は存在している。たとえば、新聞の場合、通信社や各支局から日々膨大なニュースが送られてくるが、実際に紙面に掲載されるニュースはその一部に過ぎない。つまり、新聞編集の過程とは、多くのニュースをボツにする作業からなる。同じことは、新聞社から提供されたニュースがテレビで報道される際にも繰り返される。”
佐藤卓己「メディアの文化変容」『メディア社会』岩波新書