創業者会長と実娘の社長がガバナンスを巡って対立する大塚家具。23日には会長から社長宛に、辞任を求める「書簡」と「通知書」が届いた。同社を一代でジャスダック上場まで導いたカリスマ創業者と、社外取締役を活用した近代的な経営を掲げる娘。老舗の家具販売会社で起きた“お家騒動”は、改めて「会社は誰のものか」を考えるきっかけにもなる。

採録
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 創業者会長と実娘の社長がガバナンスを巡って対立する大塚家具。23日には会長から社長宛に、辞任を求める「書簡」と「通知書」が届いた。同社を一代でジャスダック上場まで導いたカリスマ創業者と、社外取締役を活用した近代的な経営を掲げる娘。老舗の家具販売会社で起きた“お家騒動”は、改めて「会社は誰のものか」を考えるきっかけにもなる。
■「法廷闘争も辞さぬ」
 大塚久美子殿
 この度、貴殿による株式会社ききょう企画の財産隠匿、及び様々なコンプライアンス問題に接し、もはや貴殿は株式会社大塚家具の代表取締役社長としての適格性が欠落しており、重大な企業価値毀損のリスクが存在していることから、平成27年2月25日に開催予定の取締役会において、代表取締役、及び取締役を自主的に辞任するよう要求いたします。
 自主的に辞任されない場合は東京地方裁判所に提訴した上で、当該事実を公表いたします。
 平成27年2月23日
 大塚勝久
 これが創業者会長の大塚勝久氏(71)から、現社長の大塚久美子氏(46)にとどいた「書簡」である。「通知書」はアンダーソン・毛利・友常法律事務所が勝久氏の代理人となり、財産隠匿やコンプライアンス問題の中身が15枚に渡って書かれている。
 書簡に登場し大塚家具の第2位株主でもある「ききょう企画」とは勝久氏とその妻が資産管理目的で設立した会社で、今は久美子氏が実質的な代表者になっている。勝久氏は2008年にききょう企画が発行した15億円の社債を個人で引き受けており、13年に償還を求めたが、ききょう企画は償還に応じていないという。通知書は「久美子氏は勝久氏による差し押さえを免れる(強制執行免脱)ため、ききょう企画の財産を隠匿している」と主張している。久美子氏側はこれらの事実を否定している。
 それにしても、父親が実の娘に「取締役を辞任しなければ、裁判所に提訴する」と迫るのは異例の事態だ。なぜ、ここまでこじれてしまったのか。時系列に整理してみる。
 久美子氏は一橋大学経済学部を卒業後、91年に富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。その3年後に大塚家具に経営企画室長として入社した。96年に取締役になったが、04年に退社し、翌年、自分が設立したコンサルティング会社の代表取締役になっている。本人いわく「大塚家具に戻るつもりはなかった」という。
 しかし、07年に起きた「インサイダー取引事件」で状況は急変する。大塚家具の役員が増配の情報を事前に知った上で、会社の資金で自社株を買い付けたことがインサイダー取引に当たるとして、証券取引等監視委員会が金融庁に課徴金納付命令を出すように勧告。金融庁は3000万円強の納付を命じた。09年3月、社長の勝久氏は経営の前線から一歩下がった会長に就任し、後任の社長として久美子氏を呼び戻した。勝久氏には勝之氏という長男(現大塚家具取締役専務執行役員)がいるが、美大を卒業した芸術家肌の人物であり、インサイダー事件後の混乱収拾にはビジネス経験が豊富な久美子氏が適任と判断したと見られる。
■父の「勝利の方程式」を否定
 銀行員、コンサルティング会社社長として外から大塚家具を見てきた久美子氏は、社長に就任すると大胆な経営改革に着手した。中でも大きかったのは「会員制」と「折り込みチラシ」という勝久氏が編み出した勝利の方程式の見直しだった。
 「会員制」と「折り込みチラシ」は、桐ダンスの販売店から上場企業にのし上がった大塚家具の二大戦略である。当時、日本の高級家具販売は百貨店と有力問屋が実質的に流通を押さえていた。ここに割り込むため、勝久氏は問屋を通さずにメーカーから家具を直接仕入れ、価格競争を仕掛けた。ほどなく有力問屋や百貨店から、大塚家具と取引したメーカーに圧力がかかる。そこで勝久氏は「会員制」を導入し、「我々が提示しているのは小売価格ではない。会員価格だ」と問屋や百貨店の圧力をかわした。
 このため大塚家具の店舗の入り口は店の中が見えず、来店者は受付で会員登録しないと中に入れなかった。受付で会員登録した客には販売員が張り付き、マンツーマンで接客した。
 ウインドーショッピングで買い物客を誘引できない「会員制」の弱点を補ったのが「折り込みチラシ」である。勝久氏は大型店舗の周辺地域の住民に大量の親展チラシを送り、顧客をかき集めた。勝久氏が考案したこのビジネスモデルで、大塚家具が百貨店から顧客を奪うことに成功し急成長を遂げたのは紛れもない事実である。
 だがリーマン・ショック後のデフレ不況の只中で呼び戻された久美子氏の目には「会員制」も「折り込み広告」も時代遅れに映った。デフレに適応した手ごろな値段の家具で急成長したニトリや、家具のファストファッションとも言えるスウェーデン家具大手・IKEA(イケア)が人気を集め、東京インテリア家具(東京・荒川)やアクタス(東京・新宿)といった大型店も力をつけていた。
 「もっとオープンな店舗にしよう」と考えた久美子氏は、関所になっていた店舗入り口の受付を店舗の中に移動させ、通りがかりの客がふらりと入りやすい構造に変えた。「大塚家具の仕事は物販ではなくサービス」と考え、店舗に配置するインテリアデザイナーなどの専門家を増やした。部屋のコーディネートやリフォーム相談にきめ細かく応じるためだ。
 法人顧客の獲得にも力を入れた。東京五輪をにらみ客室の大改装を始めたホテルに注目。内装全体を一括して請け負える体制を整えて、都内の有力ホテルに営業攻勢をかけた。
 創業者の一存ですべてが決まっていた従来のガバナンスを改め、取締役会では創業家、従業員出身の役員、社外取締役でバランスを取るようにした。
 こうした大胆な経営改革の結果、来店者数は倍増し、ホテル内装の大口案件もいくつかまとまり始めた。だが、久美子氏が手ごたえを感じ始めた矢先に、勝久氏が「社長に復帰する」と言い出す。
 そもそも勝久氏にとって07年に退いた経緯が不本意なもので、さらに実娘の経営改革が自分の成功体験の否定に映ったようだ。久美子氏のかじ取りで11年12月期に営業損益が黒字化するなど、大塚家具の業績はデフレ不況の中では健闘しているとの声があるが、勝久氏はそうは感じなかったらし
い。
 14年7月、勝久氏は久美子氏を社長から解任し、自分が会長兼社長に就任した。8人の取締役のうち、勝久氏と長男の勝之氏、営業出身の渡辺健一氏、銀行出身で社外取締役の中尾秀光氏らが解任に賛成したとされる。
 社長に返り咲いた勝久氏は、会員制を復活させ、折り込みチラシに月3億円という巨費を投じた。念願だった埼玉県春日部市での大規模店舗建設の実現にも動き出す。勝久氏の故郷に総額100億円を投じる巨大プロジェクトで、社内では「10年前に戻れ」が合言葉になった。
 しかし当時と今では、会社の置かれた状況が違いすぎる。経営手法を10年前に戻しても業績は戻らず、14年12月期の営業損益は4期ぶりに赤字に転落。勝久氏と久美子氏の間に挟まれ、苦悩した中尾氏は社外取締役を辞任した。中尾氏の辞任で取締役が7人になったことでパワーバランスが変わり、今年1月には久美子氏が再び社長に返り咲いた。
■株式公開企業は誰のもの
 だが、冒頭の「書簡」「通知書」でも明らかなように、勝久氏は3度目の社長就任をあきらめていない。3月27日に予定されている株主総会や、裁判所を舞台に久美子氏との闘争を続ける構えだ。筆頭株主の勝久氏は大塚家具の発行済み株式の18.4%を保有している。勝久氏に加勢する親族の持ち株をかき集めれば25%程度までは比率を増やすことができるとみられる。
 しかし第2位株主のききょう企画(9.75%保有)は久美子氏が実質的な代表者であり、第3位の投資ファンド、ブランデス・インベストメント・パートナーズも久美子氏を支持しているとされる。勝久氏がプロキシファイト(委任状争奪戦)で経営権を取りもどす可能性は低い。
 「この会社を作り、育てたのは自分だ」。これは勝久氏に限らず創業者の共通の思いなのかもしれない。トップの強い思い入れなくしては、企業の成長もない。しかし、株式を公開した時点で、会社は「創業者のもの」ではなく公のものになる。これ以上、混乱が長引けば大塚家具のブランドイメージは傷つき、群雄割拠の家具業界での地位が大きく低下する可能性もある。親子の意地の張り合いで企業価値を毀損するのは賢明ではない。被害を受けるのは株主と従業員だ。
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人間はいつの時代も同じ
現代でも同じような話が沢山
どうしてもこうしても、結局こうなるものなんでしょうね