メディアリテラシーについて この問題はメディアでの詐欺とか騙しとかなりすましとかと関係するのでややこしい 何かある情報が示されているとして、 それは実はどのような意味なのかを「見破る」力のことであるが、 そんなもの、どのようにして養成すればいいものか、 一般常識が身についているかどうかとしか言いようがない 書いている人がどのような人物でどのような文脈でどのような背景があり書いているものなのか 一般に、この世の中に、どのような人間がいるものなのか、知る必要がある 人間は長い進化の中で、 語る言葉の内容

メディアリテラシーについて
この問題はメディアでの詐欺とか騙しとかなりすましとかと関係するのでややこしい

メディアリテラシーとかネットリテラシーについては、何かある情報が示されているとして、
それは実はどのような意味なのかを「見破る」力のことであるが、
そんなもの、どのようにして養成すればいいものか、 一般常識が身についているかどうかとしか言いようがない

書いている人がどのような人物でどのような文脈でどのような背景があり書いているものなのか
一般に、この世の中に、どのような人間がいるものなのか、知る必要がある

人間は長い進化の中で、
語る言葉の内容を判別する機能も発達させたし、
語る人の「様子」、つまり話し方とか、表情とか、目つきとか、全体の動きとか、服装とか、言葉の選択の傾向とか、方言とか、年齢、性別、教養の程度、アクセサリー、香水、その他
いろいろなことを手がかりにして「話の価値」とか「真偽」を判定している

まともなことを話しているが、その話し方はとてもおかしい人とかもよくいる
話し方は普通だけれども、話の内容はとてもおかしいという人もいる
内容も話し方も普通だけれども服装や化粧が尋常ではない人もいる
「内容」と「形式」と「表出」と区別してもいいと思う

ネットで見かける文章について言えば、
内容については判別できる
形式については異常があっても薄められる
表出については隠蔽される
という事情にある

まあ、ネットの中のページで、何か尋常ではない体裁のページの中で繰り広げられる言葉もあるので、
その場合は、表出について、かなり特徴的ということになる

また、形式についても、かなり特徴的な形式をもった文章や表現である場合もあり、
それは良い場合もあるが、なにかとても苦しそうな場合もあり、
それについてもやはり何かの手がかりとはなる。

しかし表出についても、形式についても、面と向かって話すとか、集団の中で話すとかという場合に観察されるものよりも、
判別力はずっと弱くなっている、
つまり、ごまかすことができるということになる

内容については、文章の背景とか、文脈とか、色々と知らなければならないので、難しい面はある
その「いろいろとしらなければならないこと」の大半を、人間は、形式とか表出で感覚しているのだが、
それが使えない状況なので、ネットの文章だけに接して、経験がないと、立ち往生する

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話を反転させると、通常人と面と向かって話すよりも、ネットでは嘘をつきやすいということになる
別人格になって語ることも比較的容易である
妄想的内容を批判を受けることなく語り続けることも自由であるし
むしろ穏健な言葉は目立たず埋もれてしまう傾向もあるだろう
刺激の強う言葉だけが目立ち、ネット検索で上位にあげられ、結果として繰り返し読まれるということもないではない

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嘘をつこうとしているという場合とは別に
勘違いしている場合とか
コピー・ペーストしているうちに少しずつ内容がずれているとか、
前提条件が抜けて、過度に一般化されているとか、
コピー元が古い記事で、最近とは事情が違っているとか、
いろいろなケースがある

カカクコムや食べログでユーザーの意見というものがかなり読まれていると思うが
読まれていると聞きつけたら、商売する側は放置しては置かないもので、
中にはかなりの情報操作が混入していると思って間違いないと思う
一般人を装って、企業の情報操作部隊が懸命に書き込みをしているのだと2チャンネルの場合に明らかになったし
食べログでは良い評判をこれだけ以上でキープ、検索して上位何位以内をキープとかを条件にして契約する会社もあるらしい

医療情報に関してはますます混沌としている
まず医療なのか伝統医学なのか、健康食品なのか、医療周辺産業なのか、紛らわしく、
判別が難しいので、わかる人以外にはわからないという、とてもおかしな表現であるが、実際そんな現状だと思う

本人が信じていれば何を書いてもいいのかと思うくらいのものもあれば
一応、薬事法などで縛りがあるものもある

科学的に不合理な内容もたくさんあるけれども
それがなぜか一般人の心にはヒットして
検索の上位をキープすることがあり
結果として影響力を持つこともあるようだ

ユーザーの意見として薬とか治療法に関して意見を書く人もいるようだが
それに影響される人は多分いると思うので
かなり責任重大であるが
この場合、書いた人の責任が問われることはなく、
読んだ人の責任が問われる仕組みになっている
それがネットリテラシーと言われているものである

嘘を信じたら、書いた人が悪いのではなく、読んで信じた人が悪いのである
書いた人はなにか勘違いしているのかもしれないし、別の意図があるのかもしれないし、ファンタジーの世界を生きているのかもしれないし、
書いた人の意図については、読む人各自が判断するしかないというのが実情である。
これは推薦できます、というような仕組みも結局商業ベースのものになるので歪んだものになるし
難しいものだ

アマゾンの書籍ランキングでも著者から、短期集中的にランキングを上げるためにご協力をというようなCCメールを送り付けられることがあり
これなども朗らかであるとはいえ、情報操作の一部だろう

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こうなってくると、あるていどの偏りのある人がなにか書いて、
それをある程度偏りのある人、判断力の弱い人が読んで影響される、
そのような場面はありうるわけで、
なかなか困難である

判断力の弱い人の一部は子供であって
それも困る